2016年2月7日(日)第6日目
今日は日曜日です。
カーテンを開けて窓から外を覗いてみると、例によって天気は晴れているのですがスモッグのせいで街はすぐ足元の道路しか見えません。では、シャワーを浴びて朝食に行きましょう。
前日までのホテルと違い、ハイアットのレストランは明るくて広々としています。食べ物はこちらのほうがフルーツが充実しているくらいで大体同じメニューですかね。あ、チキンソーセージの他にポークソーセージがありますよ。どんな味かな?む・・・これはほとんど豚らしい香りもありません。チキンソーセージと同じくらい不味いです。
さて、手早く朝食を済ませてロビーに集合です。というのは、昨日までで目的とした成果はほぼ得られたので、今日はオフということにして南の都市アグラに行ってみることになったのです。アグラにはかの有名なタージマハルがあります。インドに来たらこれを見ないことには始まらないというくらい、よく知られた世界遺産です。アグラは16世紀のムガール王朝時代にインドの都に制定されました。そして第5代の皇帝ジャー・ジャハーンのときに亡くなったお妃ムムタール・マハルを祀るために作られたイスラム風の霊廟がタージマハルなのです。これは楽しみですね〜
今日もスモッグがひどいですね。 |
朝食用のレストランです。 |
ハイアットにはチキンソーセージとポークソーセージがありました。 |
手前にあるのは細かく切った麺ではなくて、長粒種のご飯です。長いでしょう? |
ロングドライブに備えてロビーのトイレに入ってびっくり!モダンなデザインですねえ・・・ |
デリーからアグラまでは180kmあります。最近出来た直通の高速道路を使って片道2時間半のドライブです。そのためにこれまで数日間ドライバーを務めてくれたシンさんのタクシーをチャーターして、朝8時にホテルを出発となった次第です。
日曜の朝とあってデリーとアグラを結ぶ高速道路「ヤマナエキスプレスウェイ」の交通量はそれほど多くはなく、快調に南に向かって進みます。3車線に路肩もあって広い道路ですが、どこから入ってくるのか自転車とか歩行者がちらほら見えます。中央分離帯のところに何人か立っているのは、横断しようとしている人たちでしょう。1時間半くらい走ったところでサービスエリアでトイレ休憩です。お菓子の売店やコーヒー、スナックを売るカウンターもあります。20ルピーのインスタントコーヒーを飲んで出発。それまでまっ平らな畑だった周囲に起伏が出てきて風景が変わったなと思ったら、もうすぐアグラに到着です。
朝もやにけむる高速道路を時速100キロで南下します。 |
高速道路の分離帯脇を歩く歩行者です。 |
今度は路肩に自転車と歩行者を発見。 |
「停車していいのは路肩だけ」とか「追い越しは右から」という注意が何度も出てきます。 |
2時間ほど走ってサービスエリアで一休みします。 |
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コーヒーショップに入ります。 |
サブウェイもありました。 |
フロントバンパーにプロテクターが付いています。 |
そしてリアバンパーにも。 |
風景が変わりましたね。もう少しで高速道路の終点です。 |
クーバープールが高速道路の終点です。ここで一般道に降りて片側1車線の田舎道を進むと、アグラの街に入ります。だんだん集落が現れてきました。集落を抜け、橋を渡ってヤムナー川沿いに少し進んだところに目指すタージマハルがあるのです。
う〜む、これまでデリーに5日間いてかなり見慣れてきたインドらしい街の風景と較べると、アグラはゴミは少なくてきれいなほうでしょうか。しかしこれで人口150万人もいる、かつてインドの首都であった都市とは思えませんね、街の中心部を通っても3階建てよりも高い建物が見当たりません。
アグラの街に入ってきました。 |
アグラ名産のスイーツを売る屋台です。
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タタ製のトラックです。ごついですね。 |
青い看板はモバイル通信の店ですね。 |
かごの中に入っているのは活きた鶏です。 |
牛さん、発見。 |
中心に近づいたからでしょう、だんだんにぎやかになってきました。 |
シャッターに「4GB120ルピー」とあります。 |
店の前が溝ですけど客が来るのでしょうか。 |
御菓子を売っている店でしょうか。 |
川原には色とりどりの布が干してあります。 |
あと少しでタージマハルに到着かというとき、車がいったん路肩に停車してサングラスにちょび髭のおじさんが乗り込んできました。この人がガイドさんでした。実はサービスエリアで休憩する前にドライバーのシンさんが「アグラでガイドは要らないか?知り合いがいるんだけど。」と言うので頼んでおいたところ、途中で携帯電話で連絡をしてくれたようです。
タージマハルの入り口に到着すると、ガイド氏はさっと車を降りて「ジェントルメン、フォローミー!」とずんずん歩いていき「さあ、このラクダに乗ろう。50ルピーだ。」という具合でなかなか手馴れていますよ。500メーターくらいゆらゆらと揺られてゲートに着きましたが、ここにはチケットを買う人が何列にも並んでいます。「こっちこっち、固まって私から離れないように。」と他の人をかきわけて、優先レーンみたいなところをどんどん先に進んでいきます。うん、やはりガイドを雇って正解でしたね。そうじゃなければ我々は列の後ろで勝手がわからずに、1時間くらいうろうろしていたことでしょう。そのあとはセキュリティチェックでちょっと並んだだけですぐにチケット売り場に連れて行ってもらうことができました。我々がチケットを買っている間にガイド氏は、物売りのスタンドで勝手に冷えたミネラルウォーターを手に取ると「はい、水ね。」と配ってくれて、さらに台の上から白くて丸いものを何個かポケットに突っ込んで「じゃ、行きましょう。」。その後もタージマハルの歴史を語り、「はい、ここで写真」、「そっちは混んでいるから脇から行きます。」と言う具合で、いやあ、てきぱきとして気持ちがいいですね。そして霊廟のそばまで来ると「この先は裸足でしか入れません。靴はだめです。だから、これをかぶせる。」とポケットから白い靴カバーを取り出して配り始めました。さっき売店から持ってきたのはこれだったのか!最初はガイド料2000ルピーは高いと思ったけれど、時間の無駄なく見て回ることが出来ましたから十分その価値はありましたね。その上、タージマハルに関する薀蓄もあれこれ仕入れることが出来ました。
いわく・・・・
・ムガール王朝の5代目ジャー・ジャハーンには4人のお妃がいたが、いちばん寵愛を受けたのがムムタール・マハルであった。
・彼女は14人の子供を生んだが成人したのは半分だけで、そのうちの4人の皇子が後に権力争いをすることになる。
・1631年に彼女がジャー・ジャハーンの戦争に同行して戦地で36歳で病死したため、その死を悼んで常時2万人の職人を雇い22年かけて後世に残る大霊廟を建設し、これが今のタージマハルでありほかの3人のお妃も同じ敷地の小さなお堂に祀られている。
・この白い霊廟に対応すべく川の対岸に黒大理石で自分自身の霊廟を建設しようとしたが、あまりの巨額の費用に国政が破綻するとして皇子たちによって捕われてアグラ城砦に幽閉されてしまった。
・ジャー・ジャハーンはせめてタージマハルを毎日見ることが出来るところに入れて欲しいと懇願し、死ぬまでその願いはかなえられた。
・霊廟の高さは80メーターで、ドームの上に立っている棒だけでも16メーターの長さがある。
・タージマハルはムムタールのために作られたのでその墓がすでに霊廟の中心に置かれているため、ジャー・ジャハーンの墓は中心を外れてその隣に置かれた。しかし観光客が霊廟に入って見る事が出来る二つの墓には遺体は入っておらず、その直下の地下に遺体が安置されていて公開されていない。
・霊廟を囲む4つの塔は外側に2.5度傾いて作られており、万が一地震などで倒れても霊廟に倒れ落ちることがないように設計されている。・・・・などなど。
「このラクダカーでゲートまで行きま〜す。」というサングラスのおじさんがガイドです。 |
む、結構臭いますね。 |
なるほど、ラクダのシャトルサービスですね。
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日曜なのでたくさんの人が並んでいます。 |
最初の建物が見えてきました。
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大楼門です。従者はここで待っているわけです。 |
写真でみたよりはるかに美しいです。本当に素晴らしい! |
皆さん記念写真を撮っています。 |
ははん、手の平に乗せた写真を撮るのですね。 |
建物に入る前に靴にカバーをかけます。 |
ではこれから建物に登ります。 |
近づいてみると大きいですねえ。高さは80メーターだそうです。 |
この模様は大理石に溝を彫って、それぞれの色の宝石をはめ込んであるそうです。 |
霊廟の裏を流れるヤムナー川。対岸の塔は皇帝が作りかけた自分の廟の一部です。 |
ドームの中にはいりました。(中は撮影禁止なのでネット画像を借用) |
王妃ムムターズ・マハル(右)と皇帝ジャー・ジャハーン(左)の墓です。(ネット画像) |
大理石を使ってこの細かな細工は素晴らしいですね。 |
溝に掘られているのはコーランです。 |
横の柱、断面が星型に見えますよね? |
真ん中がへこんで見えるのは模様のせいです。 |
ほらね、下を見ると平らな六角柱でした。 |
左右対称の美しい前庭です。 |
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正面からの写真も撮っておきましょう。 |
何度みても美しい建物です。来た甲斐がありました。 |
こちらはモスクです。 |
壁には手洗いがありました。 |
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さて、見物を終わって出てくると同時にシンさんのタクシーがやってきました。ナイスなアレンジ!
ところがグッドジョブであったのはそこまでで、次にクルマが向かったのは大理石に宝石をはめ込んだ土産物を作っている工房でした。霊廟の装飾がどうやって作られたのか、昔の作業を再現して実演で説明する、という触れ込みで実は何万円もする作品を買わせようという魂胆です。そして買い物をすれば何割かがガイドに渡される・・・ガイドと土産物屋はちゃんとツルんでいるわけです。何も買わずに出てくると今度は「アクセサリーの店に案内する、奥様にお土産だ。」ときました。「もう良いから昼飯を食べたい。」というとようやく1軒の中華料理屋に案内されました。メニューを見ると結構高い・・・はは〜ん、ここもデキテルな。
ビールと一番安いチャーハンとヤキソバだけ注文して「OK、サンキュー、デリーに戻ろう。」「わかった、それではガイド料を・・」「2000ルピーだったね?」「だけどあなたたちは3人だから、私としてはお一人ずつから感謝の気持ちを表していただけるととても嬉しい。」と言うのです。まあ時間も有効に使えたし、チップ込みと思えば仕方ないか・・というわけで結局3000ルピー払ってあげましたとさ、甘いよねえ。いやはや、インド人はしたたかです。
帰りの道は朝よりももっと人出が多く、街の中の道路は渋滞していました。
時間があればせっかくここまで来たのですからアグラ城砦も見て行きたいところですが、もう3時近くなっていますし今夜はデリーに駐在する日本人と会食の予定になっています。それになんといっても世界遺産のタージマハルをじっくりと見られましたので大満足です。高速道路は帰りもスムーズでほぼ予定通り6時過ぎにはホテルに戻ることが出来ました。
ランチは簡単にタージマハールのそばの中華レストランでチャーハンとヤキソバとビール。 |
タージマハルから戻る道は狭いのでご覧のとおりの渋滞です。 |
アグラの街中にある城砦。16世紀の首都でありタージマハルを建てた皇帝の居城でもあります。 |
いました、インドの床屋さん。 |
携帯ショップの前でフルーツを売るおじさん。
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前方の車に付いているラッパみたいなものはスピーカーでした。 |
このあたりには小さな商店が並びます。 |
モバイル通信の3G回線と牛との組み合わせが不思議ですね。 |
だんだん路上の物売りが増えてきました。 |
油で揚げた御菓子を売っているようです。 |
こちらにもありました。ドーナツかな? |
きれいなサリー姿の女性。お祭りでしょうか。 |
露店は風船売りと御菓子売りが多いです。 |
ぶらぶら歩くヒトが多いです。前を走る車がヒトの歩く速度くらいしか出ません。 |
クーラーボックスの下にサトウキビを積んでいます。 |
サトウキビを搾ってジュースを売る車でした。 |
日本で言う「デコトラ」なのでしょうが、どことなくユーモラスですね。 |
それにしてもずいぶんドアが小さいです。 |
これもタタのトラック。どうみてもヒトの顔ですね。 |
高速に乗りました。途端にものすごい荷物を積んだトラックを発見。風で倒れそうです。 |
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デリーが近くなってきました。高速道路を横断する人がいます。照明のポール、曲がってますよね? |
ホテルに戻り、シャワーを浴びてさっぱりして部屋で休んでいると電話が入りました。
ロビーに下りてご挨拶を交わしたのは、デリー駐在の日本企業の代表の方です。30分ほど話をしたあと、彼の運転手が運転する車で以前に行った「ゴールデンドラゴン」で夕食です。おなじみのスープとエビやチキンの料理などを頂きました。
再びやってきました、ゴールデンドラゴンのホイコウスープです。 |
具もたくさん入っています。 |
ご馳走様でした。 |
さて、明日はもう帰国する日となりました。
今日はタージマハルを歩き回って疲れましたので、早く寝るとしましょう。
2月8日(日)最終日に続く
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