11月10日(火)第6日目
今日は一日ローマ市内を自由に観て歩きます。
朝食をすませて、リュックにカメラや見たい場所のプリントアウト、水のボトルを詰め込んでホテルを出ました。例によって郊外にあるホテルですから、地下鉄で市内に向かいます。その前に最寄りの地下鉄のコルネリア駅まで歩かなくてはなりません。距離から見て25分くらいかかりますが、これは自宅から東陽町駅までとほぼ同じ距離ですからたいしたことはありません。駅に着いて自動券売機で切符を買います。1回券は2.5ユーロで、下車駅はポポロ広場があるフラミーニョですが、どこまで行っても均一料金です。ローマには地下鉄がAとBの2路線しかなくて、今回使うのはAラインのほうです。
上は軽油、下は無鉛ガソリンの価格です。 |
これが地下鉄の1回券です。 |
コルネリア駅から出発です。 |
Aラインの地下鉄が到着しました。 |
車両の大きさは日本と同じくらいです。 |
駅と開くドアの表示がありました。 |
さて、フラミーニョ駅に到着しました。
30年前にローマに来たときは、バチカンとコロッセオを見たくらいでほかの場所はほとんど見ていません。そこで今回は映画にもなったダン・ブラウンの小説「天使と悪魔」の舞台として使われた場所を中心に見て歩こうと思います。最初はサンタ・マリア・ディ・ポポロ教会からサンタンジェロ城、サン・ピエトロ寺院を経てナボーナ広場というコースを選びました。そのあと、時間があるようならフォロ・ロマーナを見学してBラインのコロッセオ駅から地下鉄に乗ってバルベリーニ広場に戻って予約したレストランで夕食をとってホテルに戻るというコースを計画していたのですが、パンテオンで日が暮れましたのでそこからレストランへ直行することになりました。下の地図に徒歩で歩いた経路を青色で示しました。ホテルから地下鉄駅までが1.5km、フラミーニョ駅からあちこち観光してバルベリーニ駅までの距離が約7km、そしてまた駅からホテルが1.5kmで合計するとこの日は10kmを歩いた計算になります。これは日本橋から第一京浜道路を鮫洲まで歩いた距離に等しいです。レンタカーを借りれば楽だったかもしれませんが・・・パリほど駐車場が整備されていないようで、駐車に苦労したと思われます。
さて、ともかくフラミーニョ駅から観光開始です。
駅の改札を抜けて地上に出たら、すぐ目の前がローマ時代からの交通の要所であるポポロ門です。この門をくぐってすぐ左にある建物がサンタマリア・ディ・ポポロ教会です。ここは1099年に第1回十字軍が始まった直後にときの教皇が聖母マリアに捧げる教会を建てさせ、その建設の資金をローマの市民(popolo)が負担したので、サンタ・マリア・ディ・ポポロ教会という名前になりました。その後、シクストゥス4世が再建し、建物正面の外がルネサンス様式となっています。小説「天使と悪魔」では「サンティの土の墓」と示唆されているところですが、主人公のラングドンはそのキーワードを「ラファエロ・サンティが作った土をテーマにした墓所」と読み解いたわけです。それはラファエロが設計して実際の装飾をベルニーニが仕上げた「キージ礼拝堂」のことを指しています。ローマを舞台とした壮大なドラマの出発点であるキージ礼拝堂を私もローマ見物の基点としたいと思うわけです。
教会に入ったときは10時過ぎでちょうどミサの真っ最中でしたので、うろうろ歩き回るわけに行かず後ろの席に座ってミサの終了を待ちました。15分ほどでミサは終わり、堂内の見学が可能となりました。真っ先に向かったのはもちろんキージ礼拝堂です。ここはルネサンス時代のシエナの銀行家、アゴスティーノ・キージが、お気に入りの芸術家であるラファエロに依頼して作成したキージ家専用の礼拝堂なのです。ただし、ラファエロの設計で16世紀初頭に制作されましたが、100年後のバロック時代に入ってベルニーニが修復を加え、その際にここの有名なピラミッドや数々の彫刻を飾ったのだそうです。
さあ、その造作は・・・左右に対照的に配置された赤茶色の大理石のピラミッドが目を引きます。ナゼここにピラミッドが?これを見てベルニーニがフリーメイソンとの関連を思いついたわけでしょう。そして最も素晴らしいのがベルニーニの彫刻です。ここには有名な「ハバククと天使」「ライオンと預言者ダニエル」の2作品があります。さらにこの教会にはカラバッジョが描いた名画が2点も飾られていて、ちょっとした美術館に匹敵するほどの素晴らしい名作を鑑賞することができるというわけです。いやあ、最初からガツンとアッパーカットを食らった気分です。ところがさすがはローマ、まだまだここが序の口だった、と後で知ることになるのでありますね。
地下鉄から上がってきたらポポロ広場です。 |
これがサンタマリアディポポロ教会です。 |
左がポポロ門。この装飾も1655年にベルニーニが手がけたものです。 |
中に入ってみました。 |
落ち着いた、感じの良い教会です。 |
主祭壇には「ポポロの聖母」があります。 |
パイプオルガンがまた見事ですね。 |
この装飾もベルニーニがデザインしたそうです。 |
ラファエロのモザイク画が美しいクーポラです。 |
入り口を入ってすぐ左にありました!キージ礼拝堂です。 |
これがラファエロが設計した「あの」キージ礼拝堂ですか。左右にピラミッドがあります。 |
このピラミッドもベルニーニが手を入れています。 |
そして左に見えるのが・・・ |
ベルニーニの名作「ハバククと天使」です。 |
この天使の指差す方向が「天使と悪魔」では重要なヒントになりましたね。 |
ここにはほかにもこの3体の彫刻があり、左はベルニーニ作「ライオンと預言者ダニエル」。 |
正面の祭壇画は、セバスチャーノ・ピオンボの作品です。 |
キージ家の人のものと思われるレリーフ。 |
ここには棺があるのでしょうか?
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そして、ずらりと並んだ礼拝堂の奥、主祭壇の左にあるのが・・・ |
通称カラバッジョの礼拝堂と呼ばれているチェラージ礼拝堂です。 |
正面の祭壇画はアンニバレ・カラッチの「聖母の被昇天」。右はカラバッジョの「聖パオロの改宗」 |
そして左のこの絵は同じくカラバッジョの「聖ペテロの逆さ磔」。 |
小さな教会ですが、こういう礼拝堂が10くらいも両側に並んでいます。 |
ローベレ礼拝堂。祭壇画はピントウリッキオのフレスコ画で「幼な子キリストの礼拝」。 |
17世紀後半のカルロ・フォンターナの設計によるチボの礼拝堂。 |
飾ってあるのは現法皇の写真でしょうか。 |
床にも棺を納めてあるのでしょう。 |
教会の中は天使がたくさん。 |
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マリア像があるかと思えば骸骨も顔を出しています。 |
こんなところにもいました。 |
そしてここと。 |
ここにまで。 |
怪獣ですか? |
これも不気味です。 |
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外から見るとそれほど大きな教会ではないのですが、中身が濃かったですね。 |
いやあ、なんとも素晴らしい美術品と骸骨が詰まった不思議な魅力のある教会でしたね。
さてポポロ広場には、紀元前13世紀にアウグストゥス帝がエジプトから持ち帰った高さ24m「フラミニオのオベリスク」がありますが、これは修復中でした。
では広場の向こうに見える同じ形をした教会を覗いてみましょう。左が「サンタマリア・ディ・モンテ・サント教会」、右が「サンタマリア・ディ・ミラコーリ教会」です。俗に双子教会と呼ばれています。通りがかりなのでちょっと中を覗いてみました。意外なことに、中は結構細かい造作がされていて趣のある教会となっていました。
ポポロ広場の向こうに双子の教会がありました。 |
物乞いのおばあさんも携帯を持つ時代? |
向かって右側のサンタ・マリア・イン・ミラーコリ教会に入ってみました。 |
ここにも祭壇の下に像がありました。 |
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テベレ川です。 |
スマートな車だけにこんな駐車ができます。 |
テベレ川に沿って西に歩いていくと、茶色のケーキみたいな建物が見えてきました。これがサンタンジェロ城です。「天使と悪魔」では枢機卿を殺害した犯人が隠れていた場所です。そしてここからはバチカン宮殿まで秘密の地下通路が通じているといううわさがあります。実はこの城、紀元139年にローマ皇帝ハドリアヌスが自分の霊廟とするべく建設したものなのです。そして後には要塞として、また牢獄としても皿には法皇の住居としても使われています。城の入り口に至る橋はサンタンジェロ橋で、ここにはベルニーニが手がけた天使像2体をはじめ、10体の彫刻が飾られています。
次はバチカンに向かいましょう。ですが、その前にランチ。本当は30年前にバチカンを見物しているときに出会った西山神父がスパゲティとチキンをご馳走してくれた小さなレストランに行ってみたかったのですが、いくら地図を拡大して探してもそれらしいロケーションの店は見つかりませんでした。それでカフェで軽くビールとピザの昼食にしておきました。何しろ夜はトリュフのご馳走が待っていますからね。
サンタンジェロ城にやってきました。 |
城の前の橋の欄干に立つベルニーニの天使像。 |
昔の投石機ですね。 |
砲弾は大理石でした。 |
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ここから矢を射ったのでしょうね。 |
昔の大砲がおいてありました。 |
武具を置いてある部屋です。 |
上の階への階段通路。 |
正面のサンタンジェロ橋には10体の天使像が並んでいます。 |
この城はローマ皇帝ハドリアヌスが自らの霊廟として建てたものだそうです。 |
ここから中に入っていきましょう。 |
かつての法皇の居室です。 |
サン・タンジェロの由来となった、 |
聖天使ミカエルの像。 |
下から荷物を上げるリフトがありました。 |
武器を修理する鍛冶場。 |
屋上から見るサン・ピエトロ寺院とバチカン市国。 |
ランチはキノコのピザ。もちろんビールもいただきます。 |
30年ぶりにやってきましたよ、サンピエトロ広場。ここもベルニーニが設計しました。 |
広場を囲む大理石製の列柱は284本。上には140体の歴代教皇と聖人の像があります。 |
これはマデルノの噴水です。 |
法皇の執務室があるバチカン宮殿。 |
サンタンジェロ橋とサンタンジェロ城。 |
さて、バチカンを見たあとはナボーナ広場に向かって再びテベレ川を渡ります。そしてビットリア・エマヌエーレ2世通りを下っていくと、ちょっとした広場があってそこに教会がありました。地図で見るとヌォーボ教会という名前です。ここも外観は全然パッとしない地味〜ぃな教会だったのですが、入ってみてびっくり!金色の装飾がなんとも美しい教会でありました。ここは聖母マリアをたたえた教会ということですが、その絵を描いたのがフランドル派の巨匠ルーベンスだというのです。こういうところがローマの魅力なのでしょうね。街中が美術館になっているではありませんか。
そして路地を入ってその奥にあるのが細長いナボーナ広場です。なぜ細長いかというと、紀元1世紀にドミティアヌス帝が造らせたドミティアヌス競技場の跡地に作られた広場だからだそうです。ここにもエジプトから持ってきたオベリスクがあって、ベルニーニの噴水があります。もうあっちにもこっちにもベルニーニです。もちろんここも「天使と悪魔」に登場する場所です。ベルニーニが世界の4大大河、ナイル川、ラプラタ川、ドナウ川そしてガンジス川をモチーフに作った「4大河の噴水」を使って枢機卿の殺人が行われ、オベリスクの先端のハトの像が次の目的地を示す筋書きとなっています。
ヌーボォ教会です。予定にはありませんが入ってみました。 |
教会の中に入ってみてびっくり。地味な外観からは想像できない豪華さでした。 |
なんとも見事な天井画です。 |
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キンキラキンのパイプオルガンと・・・ |
祭壇です。 |
祭壇画の作者はルーベンスらしいです。 |
天上にはマリアの夢を描いたルーベンスのフレスコ画があります。 |
路地によさげなレストランを発見。 |
これは生のポルチーニですね、食べたい! |
ナボーナ広場に到着。オベリスクとサンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会が見えます。 |
ナボーナ広場のオベリスクを囲む噴水。これもベルニーニの作品です。 |
ここには4大大河を擬人化した像があります。 |
左がガンジス川をあらわす擬人像。 |
ベルニーニが1649年に修復したオベリスク。 |
先端にはインノケンティウス10世の紋章の鳩。 |
こちらはネプチューンの噴水と呼ばれます。 |
広場は物売りや大道芸人、観光客でごった返しています。 |
さて、次に行きましょう。上院の建物を迂回して15分ほど歩くとそこがロタンダ広場です。そしてその向こうに見えるギリシアの神殿みたいな建物がパンテオンです。ローマには「パンテオンを見ずしてローマを去る者は愚者なり」ということわざがあるように、この建物を見ないで帰るわけにはいきません。「天使と悪魔」では「サンティの土の墓=ラファエロの墓=パンテオン」ということで最初の目的地となっているのですが、ラファエロが亡くなったのは1520年ですが、彼の墓がパンテオンに移されたのは1758年になってからなので、「ラファエロが作った墓=キージ礼拝堂」とわかるというストーリーです。
さて、それはともかくこのパンテオンは、もともとは様々なローマ神を奉る万神殿として紀元前27年にアウグストゥス皇帝の腹心アグリッパによって建てられて後に焼失し、かの「テルマエロマエ」で有名なハドリアヌス皇帝が紀元123年に修復したものです。その後そのまま残っているので、私たちが見ているのは実に2000年前のローマ帝国の建物そのものということになります。
建物は、深さ4.5mのローマンコンクリート基礎の上に直径43.3m厚さ6mの円堂と半球型のドームをのせた構造となっていて、高さによって軽い凝灰岩と軽石を6層に使い分けたドーム上部の厚さは1.5mしかないそうです。 2000年前にそれほど正確な寸法で緻密な建築が出来たというのは、なんとも驚くべきことですね。
ロトンダ広場です。ここにもオベリスクがあります。 |
ナンチャッテ古代ローマ兵士を発見。 |
皇帝ハドリアヌスが再建したパンテオンです。 |
中は直径43.3mの広いホールです。 |
中に直径43.3mの球体がすっぽりと入るとのことです。(ネット画像) |
正面にはアグリッパに敬意を表して「ルキウスの息子マルクス・アグリッパが、
3度目のコンスルの際に建造した」と記されています。 |
直径9mの天窓が開いています。 |
周囲の壁に祭壇が作られています。 |
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イタリアの初代国王であるビットリオ・エマヌエル2世の墓です。 |
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それにしてもこれが2000年前の建物とは思えませんね。 |
ライトアップされたビットリオ・エマヌエル2世記念堂。 |
さて、パンテオンを出たらもう薄暗くなっていました。フォロ・ロマーノを見るのは無理ですね。それに買い物もしたいので、iPhoneの地図で周囲を検索すると、すぐ近くビットリア・エマヌエーレ2世通りに出る手前にカルフールがあることがわかりました。行ってみるとカルフールではあってもミニサイズのそこらのスーパーみたいな店舗です。それでも欲しかったコーヒーや香辛料、ミートソースの缶詰などのお土産を買うことが出来ました。ただ、トリュフとかポルチーニなどの高級食材はさすがに売っていません。それは別のイタリア土産の店で買うことにしましょう。
歩くうちに日はとっぷりと暮れて、予約したレストランがあるバルベリーニ広場を目指してナツィオナーレ通りを登っていきます。こんなときにiPhoneの地図は便利ですね。GPSで今の位置がわかりますのでどこで曲がれば良いかがすぐわかります。そしてナツィオナーレ通りにはみやげ物店がたくさんあって、その中の一軒には探していた乾燥ポルチーニもトリュフのオリーブオイル漬けもありました。さあ、これで安心してレストランに向かえます。
バルベリーニ広場から路地を1ブロック進んだところに目指すレストラン「オステリア・バルベリーニ」がありました。この時期ならではのトリュフを存分に楽しみたいと思ってネットで検索して、日本から予約を入れておいたのです。ちょっと良いトスカーナのワインを注文して前菜もトリュフ、そしてメインに白トリュフのリゾットとパスタをいただきます。普通ならパスタは「1番目のお皿」で、そのあとに「2番目のお皿」として肉や魚の料理が来るのですが、トリュフのスペシャルメニューではその2品がメインとして扱われているのです。
突き当りがバルベリーニ広場です。 |
これが目的のレストランです。 |
「オステリア・バルベリーニ」です。 |
トリュフ料理とローマ料理が売りです。 |
トスカーナのワインと水をもらいました。 |
モンタルチーノという村のワインです。1本24ユーロ(約¥3100)です。 |
前菜のフランスパントリュフのせ。上のスライスされたものが白トリュフです。6ユーロでした。 |
ナスの薄切りを重ねたラザーニア風。こちらは9ユーロ(約¥1200)。 |
白トリュフのクリームソーススパゲティ。24ユーロ(約¥3100) |
そしてこちらは白トリュフのリゾットです。同じく24ユーロ。 |
デザートは本場のジェラートに・・・ |
これも本場のティラミスです。どちらも5ユーロ(約¥650)。 |
バルベリーニ駅、あと2分で電車が来ます。 |
電車がやってきました。 |
いやあ、人生初の白トリュフを堪能しました。さて、バルベリーニ広場に戻ってバルベリーニ駅から地下鉄に乗ってコルネリア駅まで移動します。駅からさらに25分歩いてホテルに帰って来ました。よく歩いたものです。さすがに疲れました。
これでイタリア観光はおしまい。よく観てよく食べた中身の濃い旅行でした。明日は朝早起きして成田への帰国の旅となります。
11月11日(水)第7日目に続く
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