今年はオリンピック・パラリンピックが開催される年と言うことで、休日が変更されて7月に4連休が設定されています。その間にオリンピックの開会式もあるそうですが、別に興味もないですし都内の交通規制があれこれ面倒くさいのでさっさと地方に逃げ出すことにしました。
さて、ではどこに行こう?新潟、村上方面は2018年に行きましたし、秋田、弘前方面まで行くには4日ではちょっと足りない。と言うことで上越市はどうかな?上越って昔は直江津って名前でしたよね、「親不知・子不知」があるところ。おお、調べてみるとかの「越後の虎」こと上杉謙信の居城である春日山城が有ったところでしたか、これは行って見てみたいですね。そのあとは・・・富山で白エビを食べようか、と考えたのですがそう言えば2008年の夏休みに富山から五箇山、白川郷をぐるっと回っていました。そうか、じゃあほかにまだ行っていないところはあるかな?地図をにらんで浮かび上がってきたのは「黒部ダム」でした。そういえば小学生のころだったか、「クロヨン」建設の物語を読んだことがあります。「大町トンネル」「鉄砲水」「破砕帯」などの言葉が急によみがえってきました。よし、黒部ダムを見に行こう。
こうして、今回の旅行の内容は以下のように決まりました。
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7月22日
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車で関越道、上信越道経由で東京=>上越市へ。到着後「にのみや」でお昼。続いて春日山城跡、高田城公園訪問後高田駅前の「アートホテル」泊。 |
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7月23日
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糸魚川経由で黒部ダムへ。ダムで昼食後、長野道から甲府を経て御殿場へ。 |
これを地図に書き込むとこうなります。青いラインが1日目、紫のラインが2日目の行程です。
1泊2日の短い旅ながら1日300キロ以上を走るきつい日程ではありますが、天気予報は両日とも晴れなので初めての黒部ダム訪問を含めて良い家族旅行になりそうです。結果、今回の旅行費用は走行距離約750kmの交通費が高速代15,750円+ガソリン代7,000円+バス・電車代10,350円、宿泊費15,300円そして食事代がちょっと高くて42,500円でしたので総額90,900円となりました。
●第1日目:7月22日(木)
さて天候に恵まれた当日、朝7時半に自宅を出発しました。腹立たしいことに、オリンピック期間中ということで首都高速を使うと1000円の追加料金がかかります。そこで逆方向に向かって篠崎・市川から外郭環状線を通って関越道に乗ることにすれば、都内ではなく千葉県と埼玉県を通るので1000円の加算を免れるという計画でした。ところが出発前に見た渋滞情報では、環状線が川口周辺でかなり渋滞しています。渋滞通過に30分くらいかかりそうだったので、首都高回避作戦はあきらめて木場から高島平まで首都高速を使いました。さすがに道路は空いていて順調そのもの、すんなりと練馬の入り口まで着きましたがなんとそこから先が30キロの渋滞です。ようやく渋滞が解消したのは高崎から上信越道に入ってからでした。そこから先は渋滞もなく、11時には長野市を通過することが出来ました。お昼は、上越市内の春日山城址の近くにある蕎麦屋さんで食べる予定にしています。上越高田インターで高速道路を降りて、ナビの案内に従って63号線を北上すること10分くらいで目指すお店「にのみや」さんに到着したのは午後1時ちょうどでした。
お店には数人が並んでいてましたが、10分くらい待ったところで席に着くことが出来ました。でもその先が長かった・・・店内には給仕の女性が二人で、後は小柄な主人だけ。ここでは普通のそばとさらしなと田舎そばを盛り合わせた「3色せいろ」があるのですが、見ていると釜はひとつなのでそれぞれのそばを別々にゆでています。そして天ぷらの注文が入ると、主人が釜を離れて揚げ物にかかりきりになってしまうのです。だから決して手際が悪いわけではないのですが、こういうオペレーションのせいで一品一品が出来るのにとても時間がかかるのですね。席について30分くらい待ったところでようやく我々のそばが運ばれてきました。はあ、お腹が空いた、いただきまぁ〜す。
「にのみや」さんに到着です。お昼時ということで、駐車場はいっぱいでした。 |
私が注文した「十割そば」1000円。シャキッとして美味しいですが、量が少ないですね。 |
息子の注文は「天ぷらせいろ」の大盛り1700円。大盛りで普通の量かなと言う感じです。 |
これは女房が注文した「おろしそば」で1000円。おろしも少ないですね。 |
うーん、蕎麦の量と言い、お値段と言い、かなり強気のお店でしたね。
それでもそばが美味しいのでお客さんも来ますし、評判はいいようです。
さて、「にのみや」さんを出て右に1ブロック進むと、Y字の分岐があって、その先に倉庫のような黒い建物が見えます。ここは「上越市 春日山城跡ものがたり館」という春日山城を紹介する展示館で、川中島合戦図屏風を展示していたり、上杉謙信を紹介するビデオの上映をするなど、戦国時代の春日山城の様子を知ることができる資料館なのです。
また、ものがたり館に隣接して春日山城史跡広場が整備されています。ここは実際に春日山城の一部であったものが復元されていて、中世の春日山城をしのぶ土塁や監物堀(けんもつぼり)、道、番所などを見ることができます。
ここが「上越市 春日山城跡ものがたり館」です。 |
当時の衣類が展示されていました。 |
城跡の発掘調査の模様です。 |
かつての春日山城の堀と土塁が再現されています。 |
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山全体が城になっていたのがよくわかります。ここが一番北の入り口だったのですね。 |
土塁の上には陣旗がありました。 |
こちらには違う旗が翻っています。
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謙信が好んで用いた「毘沙門天」の旗です。 |
こちらは上杉家家紋の竹と雀をあしらった旗。
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このカキツバタは5月が見ごろだそうです。 |
これが有名な「監物堀」だそうです。
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ものがたり館を出て、200メーターくらい先の角を左に入ります。曲がってすぐに「春日神社」の表示がありました。さらに進んだ突き当りに謙信公の銅像がありました。そしてその先が春日山城の城址が広がっていて二の丸や本丸、毘沙門堂などがあるのですが、この暑さなのでそこまで歩いて登る元気はなく、下から眺めるだけにしました。
春日山は高さ180メートル、かつては鉢が峯と呼ばれていましたが、天徳2年(958)ここに春日神社が創建されて以来、春日山と呼ばれるようになりました。南北朝時代の初めから、上杉家が代々越後の守護として、府中(直江津)にいて国政をとっていました。春日山城は府中の要害として築かれ、守護代の長尾家が城を守っていたそうです。
戦国の世となって謙信の父長尾為景のとき、直江津の長尾館[だて]にいた為景は守護上杉定実や妻子とともに春日山城内に居を移し、以来、為景、つづいてその長男長尾晴景、晴影の弟長尾景虎(上杉謙信)、その養子景勝が相ついで城主となりました。戦国時代特有の根小屋式要害に改造したのは為景であると言われています。
上杉謙信の在城は約30年間に及び、その間に城の守りは著しく強化され、難攻不落の要害となったとされています。遠隔の地に出陣中の謙信から春日山留守将にあてたいくつかの書状によって、その強化の模様がわかります。また、謙信の行動範囲はきわめて広く、越後国内はもちろん、信濃、関東、越中、加賀、能登に出陣したり、近畿にも数か月間滞陣しました。謙信はその留守中を敵におそわれるのを案じて、城の強化に努めたようです。慶長3年(1598)春、豊臣秀吉の命によって上杉景勝が会津に転封し、堀久太郎秀治が城主となるや重臣堀監物[けんもつ]直政が監物堀を築いて城の近代化に努めたものの、山の上の城は政治を取り仕切るには不便であるということで、1607年(慶長12年)に直江津港近くに福島城を築城して移り、春日山城はその役目を終了したということです。
春日山城址にやってきました。上杉謙信の銅像が建てられています。 |
この銅像は昭和44年(1969)のテレビドラマの放映にあたり制作されたそうです。 |
春日山城の中心部です。正面の山頂が本丸跡です。 |
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春日山から見た上越市内。左端に日本海が見えます。 |
入り口に春日山神社があります。 |
謙信公を祭神に祀った神社。隣接する記念館には遺品や資料などが展示されています。 |
入り口の茶屋にコシヒカリのアイスがありました。お米の味がするのでしょうか。 |
なんと、アイスの中にお米の粒=ご飯粒が混じって入っていました。 |
ここで山を降りて、高田市の中心部に向かいます。次に見物したのは「高田城址」です。
高田城は、高田平野にある菩提ヶ原に築かれた平城です。
約220メートル四方の本丸を取り巻くように二ノ丸、南に三ノ丸、北に北の丸を配し、関川、青田川などを外堀として利用しています。すべての曲輪に土塁が採用され、石垣は築かれませんでした。低湿地に築城されたため排水設備が重視され、城地には現在の技術水準から見ても遜色ない暗渠が張り巡らされていたそうです。徳川家康の六男の松平忠輝が福島城を廃し、現在の高田公園に高田城を建築しました。城地の縄張りと工事の総監督は忠輝の舅の伊達政宗であり、政宗は家康に築城奉行に任じられこの城下を構築したとのことです。天守はなく、1614年に3重3階の三重櫓を建てて天守の代用としていたそうで、今回見学するのはその櫓です。この櫓は当時の物ではなく、1870年に火事で焼け落ちたのち1993年に再建されたものです。再建にあたっては、外観を松平光長「本丸御殿図絵」規模を稲葉正通時代の「高田城図間尺」を基にして復興されたそうです。内部は鉄骨構造ですが、随所に木材を使用し木質感を再現しており、最上階天井は本格的な木組みとしているそうです。1、2階は展示室、3階は展望室として利用されています。
高田城址公園に来ました。町の中心部ですが、広い無料の駐車場があります。 |
2002年に再建された木造の極楽橋です。 |
堀には鯉がたくさん泳いでいました。 |
町の中心とは思えない静けさです。 |
「甲斐姫」と言う名前の蓮だそうです。 |
花は咲いていなくて、シャワーヘッド?だけ。 |
これが三重櫓です。遠くで見たよりも小さいですね。 |
2階には展示室があります。 |
出土品が展示されていました。 |
出来た当時の高田城の模型です。 |
甲冑も展示されていました。 |
櫓の3階の展望室から見た春日山です。 |
こうして見るとなかなか立派な外観です。 |
南側から見た櫓です。 |
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外堀には一面に蓮の花が咲いていました。 |
さて、これで上越の観光はおしまいです。少し早いですがホテルに行くとしましょう。
今回予約したホテルは「アートホテル上越」でした。このホテルは、上越の繁華街である直江津駅前から電車で2駅、車なら15分くらい離れているのですが、大人3人が2部屋15000円くらいで泊まれるホテルは直江津駅近くにはなかったのです。夕食は直江津駅前の海鮮居酒屋に予約を入れてあるので、高田から直江津までは越後ときめき鉄道が運営する妙高はねうまラインに乗って移動する予定になっています。
「アートホテル上越」に着きました。画像はネットから借用しました。 |
チェックインをしてシャワーを浴びたところで今夜の予約をしてあるお店の御主人から電話がありました。予定より早く席が空いたので今からどうぞ、ということです。すぐに支度をしてホテルを出ました。駅までは歩いて2、3分です。
ここ、高田市には雪深い新潟の街特有の「雁木」と呼ばれるアーケードが作られています。各戸が道路側に庇を設けて隣とつなぐことで、玄関前に積もる雪を防いで町内の移動をしやすくする、生活の知恵ですね。
ホテルの前から駅に向かう道には「雁木」が備えられています。 |
一般的な民家の前の「雁木」。画像はネットから借用しました。 |
高田の駅舎です。1952年に竣工したものだそうです。 |
ホームで電車の到着を待ちます。 |
直江津行きが2両編成で到着しました。 |
両側に水田が広がっています。 |
直江津駅から歩いて5分、目当てのお店に到着しました。「まるへい」さんです。 |
直江津駅に到着しました。北口を出て小学校の裏を抜けてお店に到着しました。
座敷に通されて、まずは瓶ビールでのどを潤します。
すぐに出てきたお料理はヒラメの刺身、カニの甲羅和え、もずく、バイガイでした。続いてマグロのいろいろな部位の刺身と中落ちです。中落ちは豊洲のイベントで食べたことはありますし、脳天やほほ肉も月島の居酒屋の定番でしたがあご肉と言うのは初めてでした。
次の料理はマグロのカブト焼きとタイの塩釜のどちらがいいか選択だというのですが、3人ではカブト焼きは食べきれないと考えてタイの塩釜をお願いしました。最後は6種類の料理から各自1品を選ぶということで、私はバイガイの串焼きを、女房はノドグロの煮つけそして息子はオコゼのから揚げを注文しました。
料理が並びました。ヒラメの刺身、カニ、バイガイの煮つけ、そしてモズクです。 |
ヒラメの刺身。薄造りですが醤油で食べます。 |
ズワイガニはこの時期なので冷凍でしょう。 |
お酒を頼んだら、どれにしますか?と見本がずらりと並びました。 |
この店の名物、マグロのいろいろな部位の刺身と中落ちの盛り合わせの登場です。 |
選んだ日本酒はお隣妙高市の「鮎正宗」です。 |
中落ちはハマグリの殻で骨の間をすくい取ります。ちょっと良いでしょ? |
息子にとってこれは生まれて初めての経験です。 |
マグロ一匹分をきれいに食べつくしました。 |
次にタイの塩釜が登場しました。塩をタマゴの白身で練って塗りつけてあります。 |
木槌でガンガン叩いて塩の塊を崩していきます。 |
塩が完全にとれて、蒸し焼きになったタイが姿を現しました。 |
はい、このとおり。全部美味しくいただきましたよ。 |
各自が注文した料理が到着しました。 |
バイガイの串焼きです。しっかり火が入っていてほとんどゴムを食べているようでした。 |
オコゼのから揚げ。これもしっかりと揚げてあってバリバリというよりもガリガリです。 |
ノドグロの煮つけ。煮汁は真っ黒ですが上品な味付けです。 |
以上、「まるへい」さんのコースでした。 |
こちらのお店は、メニューとかお決まりのコースがあるわけではなく、予算に応じて店主があれこれ適当に出してくれるシステムになっています。最低はひとり5000円(飲み物は含まない)からだそうで、用意される料理は魚だけ。お寿司やご飯の類は別料金で用意できるとのことでした。私は「3人でお酒を入れて3万円」の予算であることを伝えました。つまり料理は一人7〜8000円と言うことになります。
予約の電話をしたときの話では、夏の今の時期は地元の漁は資源保護のために休みになっているのでローカルの良い魚が入らない、一年で一番美味しい魚がない時期であるとのことでした。確かに夏場のタイは味が落ちますし、バイガイも多分加工品でしょう。今が旬のスルメイカさえありませんでした。これはどうかなと言う料理もありましたが、まあ珍しいマグロの中落ちを食べられただけでも十分に訪問した価値があったと思います。
さて、お店を出て真っ暗な商店街を歩いて直江津駅に戻りました。
時間は9時20分です。この時間だと、高田に向かう電車は10時22分の最終しかありません。あと1時間もありますよ、どうしよう。ふと見ると9時47分に上りの特急があるではありませんか。特急なので特急券代がかかりますが、聞いてみると280円とのこと。運賃ともで560円です。3人合わせてもタクシーより安いじゃないか、と言うことで特急で帰ることになりました。
「特急」が到着しました。 |
我々以外乗客がいない車内。 |
何しろたったふた駅の距離ですからね、5、6分で高田駅に着いてしまいました。
ホテルに戻ってもまだ10時ですが、SNSの書き込みをチェックしたら寝るとしましょうか。明日は黒部ダムにお昼に着きたいので、ホテルは7時半ころに出る予定にしています。
それにしてもこの部屋ってダブルルームなのに狭くてエアコンはガラガラうるさいし、タバコの臭いが全体に染みついていますよ。臭いなあ・・・
●第2日目:7月23日(金)
ホテルをチェックアウトして、荷物を持って100メーターほど離れた駐車場に向かいます。ナビに黒部ダムへの電気バスに乗り換える扇沢ターミナルを打ち込んで、ではスタートするとしましょう。
糸魚川までは北陸自動車道を使います。
途中でファミリーレストランを探したのですが見つからなくて、最初のサービスエリア「名立谷浜SA」で朝食です。サービスエリアと言うことですが、レストランと言う感じではなくコーヒーショップ兼そば屋という雰囲気で非常にシンプルでカジュアルな施設でした。これというローカルメニューもなかったので、それぞれ味噌ラーメンや天ぷらそばで朝食を済ませました。
糸魚川インターで高速を降りて、姫川沿いに国道148号線を南下します。
小谷村、白馬村、を通過して青木湖、木崎湖と過ぎたら右にそれて山の中に入ります。道路の終点の扇沢は広い駐車場になっていて、電気バスへの乗り換えターミナルになっています。この電気バスが走り出したのは2019年12月からで、それまでの54年間は天井の電線から電気を供給されて走るトロリーバスが運行されていました。
駐車場はほぼ一杯で、特に無料の区画は「満車」の表示が出ています。無料の区画はバスの発着所からは少し離れており、発着所に近い区画は有料(1日1000円)となっているのです。どうせなら1000円払っても近いほうがいい、と有料の区画に入ってみたら、幸運なことに一番バス発着所に近い最前列に1台空きがあって止めることが出来ました。
扇沢総合案内センターに到着しました。 |
駐車場の中でもバス発着場に一番近い、最前列に止めることが出来ました。 |
さて、ではバスに乗り換えましょう。まずはチケットを購入します。
む、Webチケットだって?そんなの黒部ダムのホームページに書いていなかったぞ。今更仕方がないので、ともかく当日券売り場の長い列に並びます。えっと、いま11時10分なので次のバスは11時30分発、料金は大人往復で・・・ひとり2610円ですか。おお、クレジットカードが使えるの?それは便利で良かった。
チケット売り場(左前方)に並んでいます。 |
もう改札口に並んでいる人がいます。 |
バスは30分おきに出ているようですね。 |
おや、バスの屋根に何かついています。 |
これは?集電気じゃなくて充電端子ですね。 |
さあ、バスが動き出しましたよ。 |
途中でトンネルが広くなっていて、バスがすれ違うことができるのです。 |
ブルーの部分は「破砕帯*」があった場所を示しています。
*破砕帯:地層の動きによって岩盤の中で岩が細かく割れ、地下水を溜め込んだ軟弱な場所のこと。80mの破砕帯を通過するのに7か月かかった。 |
まもなく到着です。 |
終点に着きました。 |
記念写真を撮っている人が多いですね。 |
出口は前方です。 |
さて階段を220段上るか、あるいは60段下るか、それが問題だ・・・ |
我々は先に上ってから降りるルートを選択。 |
延々と続く階段です。 |
美味しい水を宣伝しています。 |
これが湧き水ですか。確かに冷たいです。 |
子供のころに「世紀の大工事」と呼ばれた黒部ダム建設の物語を読んだことがあるので、今通ってきたばかりのトンネルの掘削中に出くわした破砕帯のことはよく覚えています。なにしろ日本には「フォッサマグナ」という糸魚川と静岡を結ぶ大きな割れ目があってそこには複雑な断層が無数にあるのです。ぐしゃぐしゃになった岩と大量の地下水が噴き出してきてとても掘り進めることが出来る状態ではなかったと言います。日本のトンネル技術と知恵を総動員して岩を固め、水を抜き、多くの犠牲者も出しながら、7か月かけて80mの破砕帯を見事突破した熊谷組の技術者の不屈の精神には、子供ながら大きな感動を覚えたものです。
黒部ダムの工事の詳細はこちらごを覧ください:
https://www.kepco.co.jp/brand/kuroyon_history/
<破砕帯の様子> (関西電力のホームページから)
さて、黒部ダム駅に到着した我々は、先に上ることを選択して220段を上り切ってダム展望台にたどり着きました。ハアハア・・・
ここは一番高い展望台だけあって、目の前にダム全体を見下ろすことができます。気温は23度。風もさわやかで、巨大なダムを一望出来てなんとも圧巻の風景です。うん、やっぱり来てよかった!
3番に着いてから4-5-6と回って9番でランチ、6-8-7と見てまた9に戻ってバスに乗りました。 |
目の前に黒部ダムの巨大なアーチが広がります。 |
180度パノラマ写真です。横にスクロールしてご覧ください。 |
げげっ、下りの階段ってこんなの!崖にへばりついているだけじゃないですか? |
コンクリートバスケットを吊り上げたフック。 |
このバスケットにコンクリートを詰めたのです。 |
バスケットを吊り上げたケーブル。 |
お腹がすきましたね。では、お昼を食べに行きましょう。
ダムサイトで食事ができるのはレストハウス。そしてそこの名物は黒部ダムを模した「ダムカレー」だということで、最初からダムカレー目当てで来ているのです。ところがお昼時とあってレストハウスは超混雑、食券販売機の前には長い列ができています。それでもここ以外に食堂はありません。レストランの人が空席を見つけてはてきぱきと順に案内してくれるので、それほど長く待たずに席に着くことが出来ました。
昼時とあってレストハウスはこの人だかりです。食堂は2階です。 |
アーチダムカレーは昭和40年代からの変わらない味だそうで、900円です。 |
黒部ダムカレーはちょっと豪華で1100円。 |
シンプルなざるそばは710円。 |
食べ終わったら今度はダムサイトの上を歩いてみます。上から見るとダムの高さがよくわかりますね。では下の展望台レインボーテラスに降りてみましょう。
「特設会場」という幕が見えました。
ここは以前は工事車両の車庫だったのか、と思ったら湖上遊覧船を冬期間保管する倉庫だったそうです。その倉庫が移転したので特別展示に使用されているのだそうです。中には、黒部ダム建設の歴史をパネルや映像で紹介したり、石原裕次郎記念館から移設されたという、映画「黒部の太陽」のトンネルセットレプリカが展示されています。「黒部の太陽」は1968年(昭和43年)に公開された、世紀の大工事と言われた「くろよん」(黒部川第四ダム)建設、そして最大の難所であった破砕帯との苦闘を描いた石原裕次郎主演の作品のことです。
下の展望台前にある「特設会場」、入場は無料です。 |
横の壁には工事車両のタイヤの跡のモニュメントがありました。 |
幅4.4m高さ3.3mのトンネルセット。 |
トロッコも置いてあります。 |
奥では紹介ビデオも上映中。 |
工事の模様を語るパネルがたくさん。 |
目の前で放水されるのは毎秒10トンの霧状の水です。(観光用の放水) |
180度パノラマ写真です。左右にスクロールしてご覧ください。 |
同じ場所で撮影したビデオ映像です。向こうの山々にはまだ雪が残っています。 |
うーん、これが黒部ダムですか・・・目の前の放水の迫力はさすがのものでした。はるばるここまでやって来た甲斐がありましたよ。
さて、もう2時を回りました。そろそろ帰るとしましょうか。
レストハウスの横から長いトンネルを進むとバス乗り場がありました。改札を待つ人の列がもうできています。来るときもそうでしたが、我々が並んだバスに向かって歩いていくとちょうど別のバスに誘導されて、また一番前の座席に座ることが出来ました。
扇沢の駅に着くと・・・あは、やっぱり地上は暑いわ。
レストハウスの横は入り口で、バス乗り場は500メーター先にあります。 |
長いトンネルを抜けると・・・バス停があった。 |
はい、ここから先、長野県に戻ってまいりました。前方に破砕帯が見えます。 |
扇沢ステーションに到着しました。 |
雄大な黒部ダムを堪能したあとは、長野県を南下します。
大町市から高瀬川に沿って国道147号線を走り、安曇野インターから長野自動車道に乗りました。大町でぽつぽつと降ってきたなと思ったら、松本あたりで土砂降りになりました。しかしそれも一時のことで岡谷を過ぎた時には乾いた路面と曇り空に戻りました。長野自動車道は岡谷ジャンクションで中央道に合流します。
その先中央道を走り続けて、甲府南で高速を降りました。
そこから先はオウム真理教の本部があって有名になった上九一色村を通る国道358号線で精進湖に抜け、さらに国道139号線で富士宮を目指します。富士宮市内のスーパーで食料品を買い込んで山荘に到着したのは6時半でした。
さあ、シャワーを浴びてビールを飲みゆっくりと夕食にしましょう。今日はよく走ったなあ。
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