<Visit to Niigata, Murakami & Aizu Wakamatsu>
2018年10月30日〜11月2日:新潟/村上/会津若松の旅

かねてより鮭の街=新潟県の村上市に行ってみたいと思っていました。
そこでツアーを探したのですが、以前見かけた新幹線で行って瀬波温泉に2泊するというツアーがなくなっています。じゃあしょうがない、車で回りますか。でも、往復関越道というのも芸がないですね。せっかくの紅葉の季節ですから東北を横断してみますか。地図を見ると新潟から磐越自動車道で郡山に出ると東北道で東京に戻ってこれますね。そうなると・・・会津若松あたりで一泊しますか。昔、裏磐梯に泊まって鶴ヶ城や猪苗代を回ったことがありますので初めてではないですが、今度は市内に泊まってみようと思います。
そうなると村上市へも直接行くのではなく、新潟に一泊して市内見物をしましょう。どこか魚が美味しい店があるでしょうから、それも楽しみです。

ということで今回の日程は;

10月30日
東京=>新潟、到着後市内観光をしてアパホテル東中通りに宿泊
10月31日
新潟=>村上市、井筒屋でランチに鮭のコースを食べて瀬波温泉泊
11月1日
村上市=>会津若松市、鶴ヶ城を見てホテルタカコーに宿泊
11月2日
会津若松市=>東京、猪苗代で野口英世記念館を見て帰京

となりました。今回の旅行の全行程は920km、使用燃料は49リッターで平均燃費は18.8km/l、高速料金の合計は18,180円となりました。また、各地での入館料、拝観料は以下のとおりです。

新潟市 ばかうけ展望室 無料
砂丘館 無料
NEXT21ビル展望室 無料
村上市 おしゃぎり会館&高岡家&歴史文化館 500円
いよぼや会館 600円
まいづる公園武家屋敷 無料
会津若松市 鶴ヶ城天守閣&鱗閣 510円
七日町通り(車中で通過のみ) 無料
野口英世青春館(中は見学せず) 無料
さざえ堂(中は見学せず) 無料
野口英世記念館 600円

●第1日目:10月30日(火)
さて当日、自宅を朝8時に出ました。首都高速から関越道に乗って、一路北上します。秋らしいスッキリと晴れ渡ったいい天気です。途中の赤城高原サービスエリアでトイレ休憩をして、関越トンネルに向かいます。この道を前に走ったのは40年近く前になります。まだ高速道のトンネルが開通する前でした。夏休みに北海道まで車で行くために、新潟から小樽へのフェリーに乗るべく朝早く東京を出て、三国峠を越えたものでした。予定より早く新潟港に到着したので、ズワイガニを買って海辺で食べた記憶があります。新潟へはそのあと佐渡島へのツアーでフェリーに乗るために通過したことが一度あるきりです。つまり市内を観光したことは全くありません。その意味では今回が初めての訪問となります。

さて、「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった」じゃないですが、トンネルの向こう側は天気が一転してどんよりとした雲が低く垂れこめています。それに雨も降りだしてきました。新潟に近づくと少し空は明るくなりましたが、時折ぱらぱらと雨が降ってくるのは相変わらずでした。


赤城高原サービスエリアで休憩です。いい天気ですねえ。

トンネルを出たら、打って変わってこんな天気になりました。

さて、新潟市内に入りました。高速道路を新潟亀田インターで降りてピア万代に向かいます。時刻はまもなく1時、お昼を食べましょう。ピア万代には海鮮丼のお店や回転寿司、ラーメン屋があるのですが・・・こう寒いと海鮮丼よりも温かいラーメンのほうが魅力的に思えてきますね。

ということで、あらかじめ調べておいた「ラーメン宗次」に入りました。注文したのは「魚介和風らーめん」と「汐らーめん」です。どちらも美味しいラーメンでした。
食後はお隣の市場を見て回ります。日本海のどぐろやズワイガニなど美味しそうな食材がいろいろありましたが、これから東京に戻るわけではないので買ったところで持って帰れないのがなんとも残念ですね。


ピア万代に到着しました。駐車場が敷地内にあって便利です。

これが下調べをしておいたラーメン屋さんです。

これは醤油味の「魚介和風らーめん」。細麺で美味しいスープがよく合います。

こちらは「汐ラーメン」。牡蠣の煮干しやあさり節のスープだそうです。(ネット画像借用)

では、隣の魚市場を見学しましょう。

平日とあってあまり混んではいません。

この時期ですからカニがたくさん。

活貝を売っています。

そしてこちらにはアンコウに白子。

さて、買えない食材をいつまでも見ていても仕方がありません。次に行きましょう。雨がポツポツ降っていますから、予定していた砂丘の上にある日和山展望台はやめて屋内の施設にしましょう。となるとやはり美術館、博物館ですね。ちょうど目の前にそびえたつ建物の中に県立美術館がありますね。そして上の方の31階には「ばかうけ」で有名な地元の菓子メーカーが運営する無料展望室もあるそうですから、行ってみましょう。
おお、なんと駐車場は1時間までは無料なんですね、新潟って良いところだなあ。ほう、ここにはホテル日航新潟も入っているのですね。さぞ部屋からの眺めがいいことでしょう。
さて美術館に行ってみたのですが、なんでもこの日は外国の童話作家の特別展示をしているとのことで、常設展示は見られないとのことでした。格別に童話には興味がなかったので美術館はやめにしてまた1階まで戻り、専用エレベーターで31階まで登ります。おお、これはすごい。一角に喫茶コーナーがあるだけでほとんど一周ぐるりと無料のロビーになっているではありませんか。広々として、良いフロアですねえ。普通ならごく一部だけを展望台にしてあとは土産物屋やレストランにするところですが、いやはやここのスポンサーは太っ腹ですねえ。遠くは佐渡島から新潟の市街全体が見渡せました。ネットに、この展望室の360度パノラマ写真がありましたので、ご紹介します。ぜひご覧ください。

さて、西の空が明るくなってきましたので、海の方へ行ってみましょう。対岸の北端まで行ってから海に沿って南下します。ああ、水平線の上に佐渡島が見えますよ。こうしてみるとかなり大きな島であることがわかりますね。

この後は古民家や教会を見て回りましょうか、いずれもホテルの近くですから、先にチェックインして車を置いて歩く方がいいですね。今回のホテルはアパホテル東中通りです。古町という、かつて繁華街であった街並みの中心に近い場所に建っているホテルということで選びました。


あいにくの雨ですが県立美術館がある朱鷺メッセタワーにやってきました。

足元のここがさっきの魚市場とラーメン屋。

信濃川にはヨットが停泊しています。

信濃川の向こう岸。古くから栄えたのが中央周辺で、海沿いの緑の帯が昔の砂丘です。

明治22年の新潟。海岸沿いに砂丘が続き、その手前一帯が市街地でした。
対岸の現在新潟駅のあたりは無人だったことがわかります。(ネット画像借用)

この先端にあるのが佐渡へのフェリーを運航している佐渡汽船のターミナルです。

その向こうにあるのが小樽へのフェリーが出る新日本海フェリーターミナルです。

どんよりとした日本海です。海沿いの道を走ってみました。

遠くに佐渡島が見えますよ。(コントラストを強調してあります)

さてこのホテル、思ったよりも古い建物なのですね。それはともかく部屋に荷物を置きに行ってわかりましたが、ベッド二つでほとんど通路がないくらい狭い部屋です。多分今まで泊まった中で一番狭い部屋ではないでしょうか。まあ、お値段の方もお安いから無理は言えませんけどね。なんとか荷物を分散して収納したところで4時を回りました。それでは散歩に出かけましょうか。

外に出て見上げると、大きな虹がかかっていました。最初に向かったのは「どっぺり坂」です。ドッペルとはドイツ語でWのことです。つまり学生の用語で「あいつ、どっぺった」と言えば、「あいつ落第した」という意味なのです。かつては坂の上に新潟大学の寮があって、「あまりこの坂を下って繁華街で遊んでいると落第する」というところから名づけられたといいます。
そして丘の上には「砂丘館」という名の民家があります。元は日本銀行新潟支店の支店長住居だったそうで、昭和8年に建てられて8代から37代まで30人の歴代の支店長が居住したとのことでした。その後売却されて新潟市が所有し、現在は管理団体によって維持されていて音楽、舞踊、芸能などの芸術文化にかかわる催しの会場として使われているそうです。事実、私たちが訪問した時も松田惺山氏率いる「鬼太鼓座」のメンバーが夜のオープニングコンサートのために練習をしていましたし、屋内には「風騒ぐ家の人々 詩人会田綱雄・三好豊一郎と画家齋藤隆展」の作品が展示されていました。

続いて、ぶらぶらと坂道を下ってカトリック新潟教会へ。この教会は昭和2年にスイス出身の建築家マックスヒンデル氏によって設計されたロマネスク様式の建築物だということです。残念ながら到着したときは日没で、教会には誰もおらず消灯されていましたので、薄暗い聖堂やパイプオルガン、ステンドグラスを見ただけでした。昼間の写真と解説は、こちらのサイトをどうぞ。

さらにゆっくりと古町の方に下っていくと、モダンな高いビルがありました。見ると中央区役所となっています。どれ、展望室があるようなので登ってみましょうか。名前がNEXT21とあるからには21階建てなのですね。でも展望ロビーは19階なのでありました。それでも夜景は十分にきれいです。
地上に降りたところにバスの停留所がありました。ほう、ヨーロッパでよく見る連結バスが走っていますよ。スエーデンのSAAB SCANIA社製の116人乗りの大型バスです。BRTと書いてありますが、これはバスラピッドトランスポートのことでした。あとで知ったのですが、このBRTには賛否両論があって市長選挙の争点になっているとのことでした。

さて、もう6時を回りました。今夜の予約をしている店に向かいましょう。実は新潟での夕食の場所として、お寿司屋さんを中心に何件かネットで情報を集めてはみたのですが、ふと上越地方を担当して回っている昔の同僚を思い出し、どこかおすすめの店はないか聞いてみたのです。そうしたら、新潟在住の知人にあたって、住宅地でやっている小さなお寿司屋さんを紹介してくれたというわけです。そんな次第で6時半に予約を入れてあるので、そろそろタクシーを捕まえなければいけません。場所は昼にラーメンを食べたピア万代の近くですから遠くはないのですが、しかしそれにしても新潟ってタクシーの数が少ないのですかね。ここは駅前にまっ直ぐつながるメインストリートで古町という繁華街なのですが、流しも含めてそもそもタクシー自体が走っていないのではないでしょうか。10分ほどかかってようやく1台の空車を止めることが出来ました。


空に大きな虹がかかりました。

どっぺり坂」とよばれていますが実際は階段でした。

由緒ありそうな木造建築です。日銀支店長の住宅として建てられたそうです。

砂丘にあるのでこの名がついています。

室内には作品が展示されていました。

こちらは2階の和室です。

なかなか凝った造りになっています。

「風騒ぐ家の人々 詩人会田綱雄・三好豊一郎と画家齋藤隆展」のリーフレットです。

庭に出てみました。正面の部屋で「鬼太鼓座」が練習中でした。

カトリック新潟教会です。

残念ながら中は無人でした。

昼間だとこういう写真が撮れたはずです。(ネット画像借用)

区役所が入っている高層ビルの19階の展望室に上がってみました。

これは珍しい、連結バスです。

高速バスのサービスなんですね。

連結なので「ツインくる」という愛称です。

ヨーロッパではよく見かけるバスです。

さて、ようやくタクシーがつかまって一安心。10分ほどで目的地に到着しました。
運転手さんが店の場所を知らなかったので、幹線道路で降ろしてもらって歩いて向かいました。一見何の変哲のない民家ですし、目立つ看板もありません。唯一照明に照らされたA4サイズの店名を書いた額だけが目印です。
中に入るとカウンターに4名、小上がりにテーブルが2卓のこじんまりとしたお店です。カウンターに座ってまずビールからいただきます。突き出しに続いて出てきたのは食用菊のお浸しでした。酸味がごくわずかな出汁がいいですね。シャキシャキとした歯ごたえが、長い花びらによっていっそう強調されています。その次はのっぺ汁。具だくさんの野菜を煮込んだもので、福島では「こづゆ」と呼ばれるものです。そして焼き魚は赤アマダイの干物でした。これはいい塩加減ですね。旨味も出ています。普通のうろこを立てた塩焼きは京都で食べましたが、これは初めて食べました。お刺身は5品、ほう、水ダコの頭がありますね。北海道人にはなじみの食材ですが、新潟でも食べるのですね。ここで日本酒を燗酒から冷酒に変えました。いただいたのは佐渡のコシヒカリ100%で作ったという「甚九郎」というお酒です。う〜ん、なかなか切れの良いお酒ですよ、これ北雪酒造さんが作っています。さて、このあと何貫か握ってもらったのですが、珍しかったのはバイガイ。富山や金沢でバイガイの刺身は食べましたが、握りは初めてでした。北海道のツブ、エゾボラに食感は似ているのですが、もう少ししゃきっとした弾力があり、柔らかな甘みも感じます。いやあ、御馳走様でした、ご主人。ありがとうございました。お酒も美味しくて、大満足です。良いお店を紹介してくださった方にも感謝します。


はい、お店に着きました。

これが目印です。

まずはビールで乾杯。ではよろしくお願いします。

最初の一品は菊のお浸しから。花びらが長くて歯ごたえがシャキシャキでした。

そしてのっぺ汁。のっぺい汁とも言いますね。具だくさんです。

それからアマダイ。赤アマダイを日干しにして焼いてあります。

お刺身5種。右後ろにあるのが水ダコの頭の刺身です。

佐渡の貴重な冷酒をいただきました。自家製のイカの塩辛もいただきました。

締めの握りです。初めてのバイガイの握りをいただいたのですが写真を撮り忘れました。

いやあ、美味しかった、ご馳走様でした。ご主人にお礼をして外に出ました。表通りに向かってブラブラ歩いてタクシーを拾いました。
2階のフロントでキーを受け取り、エレベーターで8階へ上がります。部屋は最上階の一番奥です。ドアを開けるとベッドに当たるので、45度で体をすり抜けるようにして部屋に入ります。さて、明日は晴れるでしょうか?おやすみなさい。

 

●第2日目:10月31日(水)
2日目、窓のカーテンを開けると、青空が見えます。8時に起きて顔を洗い、2階に降りて食堂で無料サービスのコーヒーとパンで朝食です。ホテルを午前9時に出発して国道7号線を北上します。途中から海が見えるように海岸沿いの113号線にルートを変更しました。天気晴朗なれど波高し、海は真っ白です。


桃崎浜ハマナスの丘公園で一休み。遠くの海上に石油の掘削リグが見えます。

海の上には白兎がピョンピョン、風速10メーターくらいでしょうか。

さて、今日の日程は、最初に村上城址とおしゃぎり会館を見てから井筒屋さんでお昼を食べます。お昼にはあらかじめ村上の名物である鮭料理のコースの予約を入れてあるのです。午後は村上のハイライトであるいよぼや会館を見てから、海沿いの瀬波温泉に宿泊するというものです。

村上市内に入ったところで雨が降ってきました。村上城があった山のふもとまで来ましたが、ここからお城までは往復30分くらいかかるというのですが、雨が降っているので山頂まで登るのはやめておしゃぎり会館へ向かいます。
おしゃぎりとはお祭りのときに引き出される山車のことです。新潟三大祭りのひとつと呼ばれる7月の村上まつりには、各町内が趣向を凝らした山車を引いて祭りを盛り上げるそうで、その山車をここで見ることが出来るのです。


村上城への入り口の門がありました。

実際の城跡はここから登った山頂にあります。

雨が降っているのでこれより上には登らずに次に行きます。

おしゃぎり会館に到着しました。

会館の中央に展示されているのが、村上のおしゃぎりです。

左の山車には「大工町」の文字が見えます。

肴町のしゃぎり屋台模型」とあります。

大工町七夕屋台模型。

久保田町のしゃぎり屋台模型

豪華な瀬波濱しゃぎり屋台模型。

こうしてみるとなかなか壮観ですねえ。

細工が細かいところが印象的です。

会館の窓から村上城址が見えました。

石垣の一部が残っているのが見えます。

こちらには歴史関係の資料が陳列されています。

雅子様のご実家の小和田家は旧村上藩主内藤氏の藩士で、その子孫は明治
維新まで村上に在住しており、今でも小和田家の本籍は村上にあるそうです。

雅子様が市民から皇族になられた時の手続きに使われた事務用品です。

刀剣類の展示が多いですね。

おしゃぎり会館前のマンホールの蓋です。

おしゃぎり会館を出て、2、3分で井筒屋さんに到着。ここは江戸時代からの旅籠でありまして、松尾芭蕉と弟子の曽良が「奥の細道」の旅で宿泊したそうですが、今は宿泊はやっていなくて村上の鮭料理の店として知られています。
店の前の駐車場に車を止めて、「村上の鮭料理 芭蕉の宿泊地 井筒屋」と書かれた暖簾をくぐって店内に入ります。席に着くとすぐに大きな土鍋が運ばれてきました。コシヒカリの新米を、予約した時間に合わせて炊き上げたのだそうです。炊き立てなので10分間蒸らして欲しいと言われました。その間、鮭の手毬寿司と酒浸しをいただきます。酒浸しはもともと日本酒を注いで鮭をやわらかくして食べるものですが、これは鮭ジャーキーのように口の中で溶かして食べます。そして出てきたのが焼き鮭です。自分でじんわりと炭火で焼くのです。あぁ〜皮がおいしそう・・・
さらに皮だけもカリカリに焼きます。焼けた1枚目の塩鮭をまず白いご飯でいただきます。あはあ・・・これは美味しい。ご飯も美味しいですが、鮭の味が深いなあ。わずかに舌先に感じる発酵した香りが味に深みを加えているのですね。ここでご飯をお代わりして鮭の料理をいただきます。まずカブト煮から。鮭の頭をこんなに軟らかく煮ることが出来るのですね。甘いですがお酒に合いそうです。そして焼き漬けは、焼いた鮭を醤油と日本酒に漬け込んだものです。これは母親が東京に戻る私にたくさん作って持たせてくれた料理です。日持ちがするので、これさえあればご飯を炊くだけでおかずになりますからね。この焼き漬けは塩鮭自体が村上風の発酵をさせているので風味がちょっと違いますが、美味しいです。最後はイクラ、でも醤油漬けではなく味噌漬けです。む、これはかなりはっきりとした味ですね。では、もう一膳、これはお茶漬けにします。出汁が来ていますが、何と村上茶にかつお出汁を合わせたものだそうです。塩鮭をのせて、カリカリの皮、イクラ、三つ葉に海苔をのせて出汁を注ぎましょう。ほーこれは何というか面白い。鮭茶漬けというと私のイメージでは真っ白に塩を吹いた焼き鮭をご飯に乗せて白湯をかけ、箸で鮭を突き崩して食べる感じですが、これは・・・鮭が違うと風味がまるで違いますね。ですが、イクラは味噌漬けだと強すぎて醤油漬けの方がいいように私は思います。最後のデザートは甘酒でした。


お昼はこの「井筒屋」さんで鮭のコースをいただきます。

「井筒屋」さんの入り口の暖簾です。(井筒屋のホームページから画像借用)

土鍋が運ばれてきました。コシヒカリの新米だそうですが、10分蒸らします。

鮭の手毬寿司です。

鮭の酒浸し。このままいただきます。

塩鮭が来ました。炭火でじっくりと焼きます。良い香りです。

あ〜この景色、いいなあ・・・皮が美味しそうじゃありませんか。

こちらは皮だけ。カリッと焼きましょう。

さてご飯の蒸らしが終わりました。

炊き立てのご飯に鮭をのせて・・・・

うふふふ、思わず笑いがこみ上げてきますね。

鮭料理が3品ついています。味を見てみましょう。

鮭の頭のやわらか煮です。甘辛く煮つけてあって、骨もサクサクと食べられます。

焼き漬けは焼いた鮭を醤油と日本酒に漬け込んだものです。母の得意料理でした。

イクラの味噌漬け。醤油漬けよりも濃い味付けになっています。

お茶漬け。用意された出汁は村上茶とかつおと醤油を合わせたものでした。

井筒屋さんの資料のコピーです。

村上ではイクラご飯=はらこ丼のフェスティバルが開催されていました。

こうして念願だった村上の鮭料理を味わうことが出来ました。料理自体は北海道の鮭料理と変わりませんが、鮭自体が違うので出来上がった料理は初めての味になるということが分かり、よい経験となりました。
では街の中を散歩してみましょう。市内の中心通りを歩いていくと昔ながらの建物がいくつも残っています。そして軒先にぶら下がる鮭、村上ながらの風景を見ることが出来ました。


趣のある魚屋さんです。

軒下に何かぶら下がっています。

ありましたよ、これが村上の塩引き鮭です。

これも古い建物です。鮭のお土産屋さんなので覗いてみましょう。

さっき食べた鮭料理が並んでいます。

店内の床は板張りです。

奥の座敷を見せてもらいました。

おしゃぎりの模型もありました。

その奥は鮭の加工場になっていました。

天井から吊り下げられた鮭が並んでいます。何匹あるのでしょう。

これが村上の繁華街です。

お菓子屋さんです。

大町文庫」という本屋さんでした。

「そらて小町」はカフェと民芸品のお店。

こちらはお茶屋さん。

「わら竹」はクリーニング店でした。

人通りが少ないのは平日のせいでしょうかね。古いなかにも趣があって大切に街づくりをしているという感じがありますね。

さて、散策はこの程度にして、さきほどのおしゃぎり会館に戻りましょう。隣の若林家住宅と村上歴史文化館にまだ行っていなかったので、見ておきたいのです。で、その歴史文化館を見てびっくり!何とアイヌの衣類(アッシといいます)があるではありませんか。これ、昔の交易で北海道から持ってきたものですね。北前船って村上にも来ていたのか・・・それからもうひとつ面白いものがありました。それが「お年取り」のごちそう。もちろん鮭が出ていますが、そもそも「お年取り」とは東北、北海道地方の習慣でお正月の御馳走を大みそかの晩から食べ始めることです。つまりお正月は大みそかの晩から始まるのです。北海道人の私が子供のころから慣れ親しんだお年取りのルーツがここにあったわけですね。


これが若林家の入り口です。

庭に面した軒には鮭が干してあります。

来客を迎える部屋です。

こんな小さな火鉢で暖房出来たのかな。

庭に出てみましょう。

なかなか手入れの行き届いた庭です。

丁寧に雪吊りがされています。

村上歴史文化館です。

教育施設として使われている建物です。

なんと、アイヌの衣類がありました。

昔の宴席の御馳走です。

おや?この御馳走は?。

新潟で「年取り」のルーツを発見しました。

さて、ではそろそろ本命のいよぼや会館に行きましょう。「いよ」とは「うお」つまり魚のことで、「ぼや」も魚の意味です。つまりいよぼやはズバリ鮭のことです。私の生まれ故郷である札幌にも「鮭の科学館」がありますが、ここ村上にも鮭の歴史や生態を学ぶことが出来る施設があるのです。
特にここがすごいのは、地下の通路を通って三面川を泳ぐ鮭を横から見ることが出来ることです。それではさっそく見に行こうではありませんか。


これがいよぼや会館です。一見して土産物屋っぽいですね。

これが地下の様子です。300メーターほど歩いていくと窓から川を見ることが出来ます。

観察室目指して長い廊下を下ります。

観察室に到着しました。

全長50m、それぞれの窓から川の様子を見ることが出来るようになっています。

ほら、鮭がいました。

オスがメスを追いかけています。

鮭の孵化場にきました。

受精した卵が日付け順に並んでいます。

鮭漁の道具の展示です。

漁のための小屋もありました。

会館の裏の公園にやってきました。向こうが三面川です。

これが青砥 武平治の像です。

池にシラサギが来ていました。

銅像の青砥 武平治(あおと ぶへいじ)は江戸時代中期の村上藩士であり、世界で初めて鮭の回帰性を発見して、鮭が遡上する三面川に分流を設けてそこで産卵させる「種川(たねがわ)の制」を考案した人物です。これによって乱獲により枯渇寸前であった漁獲高が、導入後は5倍以上になって藩の財政向上に貢献し、より高い身分に取り立てられたということです。

さて、ハイライトを見ることが出来ましたのでまだ早いですが、今から宿に向かおうと思います。実はあと30分で日没の時間(午後4時47分)なのです。雨が降ったりやんだりの天気ですが、うまくすると部屋から日本海に沈む夕日が見られるかもしれません。
宿泊するのは瀬波温泉の瀬波ビューホテルというところです。部屋からの眺めは日本海を一望出来てとてもよかったのですが、やはり夕日は雨雲に隠れていました。残念。ではお風呂に入って夕食を待つことにしましょう。


今夜の宿である瀬波ビューホテルに到着しました。(ネット画像借用)

あ〜惜しくも夕日が雲に隠れています。

晴れているとこんな景色が見られるはずだったのですがねえ・・・・・(ネット画像借用)

部屋は4階です。窓から日本海が見えます。

やっぱりだめでした。日が沈みました。

お楽しみの夕食です。結構品数はありますね。

今夜のお料理のお品書きがテーブルに置いてありました。

お刺身は3点盛りを5点盛りにオプションで追加してもらいました。何が増えたのかな?
小鉢は左からマツタケの煮凝り、鮭の菊花巻、キノコのワサビ風味です

煮物は甘えび茶巾きのこ餡かけです。

紙鍋には白魚とお麩、水菜が入っています。

焙烙の中は鮭の朴葉みそ焼きです。

これは追加注文の焼きガニです。

焼きガニはあの値段で1杯なら安いと思って注文したら、1人前でしたね。

洋風の豚の角煮でした。

他に御馳走があるからこれで十分かな。

茶そばの信田包みとマツタケの茶わん蒸し。

白魚と麩を玉子とじにしました。

はい、最近の旅館の中ではかなり料理がいいほうでしたね。量も多くてご飯とお汁はいただけませんでした。まあ、ツアーの宿ではなく、単独で旅館に予約したせいかもしれません。もちろんお値段もそれなりではありました。
さて、部屋に戻ってテレビでも見るとしましょうか。明日は会津若松へ移動します。晴れて欲しいものですね。

 

●第3日目:11月1日(木)
3日目の朝です。障子の隙間から青い空と穏やかな海が見えます。
いい天気ですね。と、見るうちに大きな虹がかかりました。完全な半球になっているのですが、大きすぎてカメラに入り切りません。そのうちにどんどん薄くなって5分くらいで消えてしまいました。きっと背後から登った朝日によってできた虹なのでしょう。
朝食は前夜と同じ広間でいただきます。特に変わった食材があるわけではありませんが、せっかく村上に来たのだから鮭はたくさんいただきましょうね。


朝いちばん、見事な虹が日本海にかかっていました。

反対側です。海面の色が変わっています。

雲が上がりました。正面に見えるのは粟島だそうです。

朝食です。生卵と海苔はありません。鮭は3切れもいただきました。

さて、今日の予定は、武家屋敷を見てから早めのお昼を「やま信」という村上牛の店で食べようと思います。村上は鮭と並んで村上牛が有名なのだそうですが、時間的にステーキやすき焼きを食べる余裕がないので、軽く牛丼とか焼肉定食で味わってみようというプランです。そのあとは高速道路で新潟に戻り、磐越道で会津若松に移動しようと思います。

まずやってきたのは村上市内のまいづる公園というところです。ここに昔の武家屋敷が3棟、移築保存されているのです。武家屋敷とは言わば「官舎」であり、領主から与えられたもので役職によって家も変わるそうです。ただ、基本的には質素な作りで身分に応じた細かな規定に沿って作られていましたので、住人が勝手に豪華に改築したりすることは許されていなかったそうです。
最初に見学したのは藤井家住宅です。現存する武家住宅としては最も大きく、解体調査時に嘉永3(1850)年の棟札が発見されたそうです。城下絵図では重野兵馬という中級の武士の屋敷となっており、明治30年代に藤井氏が取得したものだそうです。他にも高岡家、岩間家が同じ公園内に保存されています。


藤井家。軒下の吊るし柿がいいですね。

玄関入って正面は偽の襖になっています。

煤けた屋根裏が直接見えます。

床の間に甲冑がありました。

この絵は建てられた当時のものだそうです。

金具に桔梗の模様がありました。

ここにも塩引き鮭がありました。

高岡家住宅。この住宅は、雅子妃殿下の祖母の父である又四郎氏が
昭和60年ころまで実際に住んでいた住宅だそうです。

記帳をしています。

これは隣の岩間家の座敷。

暖房はこの囲炉裏だけのようです。

囲炉裏の上は屋根裏につながっています。

はい、これで村上市内の観光はおしまい。では村上牛を食べるとしましょう。「やま信」はお肉屋さんですけれども、店内で村上牛を食べることも出来るようになっています。まだ10時半で、それほどお腹もすいていませんのでステーキはちょっと重すぎます。そこでお腹にも財布にも負担が少ない牛丼と焼肉定食をご飯を半分にしてもらって頼みました。


村上牛と言えばこのお店、だそうです。

牛丼は1200円とややお高め。

ですが薄味なので、牛肉の旨味、風味をしっかり味わうことが出来ました。

こちらは焼肉定食で、1680円。

美味しいですが、濃いめの味付けで牛肉の甘みや風味がわかりにくいのが残念。

う〜ん、やはり「サーロインご膳」8500円あたりを奮発しないと村上牛の真髄は味わえないですかねえ。和牛にそれほど執着がないものですから安易に済ませてしまいましたが、まあでも牛丼が美味しかったからそれでいいことにしましょう。

さて、市内を出て村上瀬波温泉インターから日本海東北自動車道に乗りました。いったん新潟まで南下してから磐越自動車道で東へ向かいます。

2時間半走って会津若松インターを降りました。まずは街の中心部を目指します。行きたいところは「桐屋権現亭」さんというそば屋さんです。ここでいただきたいのはそば三昧。会津の香り、飯豊(いいで)権現そば、そして会津頑固そばの三種類のそばを食べ比べ出来るのです。実はこのそば、東北大震災の後でメニューに載ったそうです。なぜなら、いくら量が少なくても3種類のそばをゆでるのは、3人分のそばを別々にゆでるのと同じ手間がかかります。だから、そばをゆでる釜前職人の手が空いているときしか受けることが出来ないメニューだったのだそうです。そして震災・・・一年分のそばを自店に備蓄している桐屋さんはその全てを食べ物がない人々に放出すべく、地震の翌々日から営業を始めたそうです。しかし地元の来客はほとんどなくて、来るのは原発の処理応援に県外から来る技術者ばかり。ですから、今度は避難所にそばの炊き出しを始めたそうです。なにしろ寒い時期ですから、配給のおにぎりが凍るような温度になっているときに、湯気が立つ暖かいお蕎麦がどんなに被災者に喜ばれたかは想像に難くありません。福島の方々にとって「桐屋」という名前がどれだけ関わりをもっているか、またご主人の職人としての心意気に深く心を打たれたかは、言うまでもありません。そしてGWの頃となって、ようやく全国から福島を応援しようという人たちが桐屋にも押し寄せたそうです。その結果、そば三昧の注文が殺到しても、一人ずつに三種のそばをゆでるのではなく、一種類のそば一人前をゆでて3つに分けることが出来るようになって、このメニューが常時出せるようになったのだそうです。
今回、そんな素晴らしいそばを、しかも、この時期ですから全部新そばで食べさせていただくことができてなんとも嬉しいことでした。


お店に到着しました。

あこがれの桐屋さんです。

これが一度食べてみたかった「そば三昧」です。

添えられた紙に書いてあるように、3種類のそばを味わうことが出来ます。

桐屋さんのお品書きです。

そば三昧は1670円でした。

さて、そばのあとは鶴ヶ城を見物しようと思います。それから七日町の駅前通りに古い建物が残っているというのでそこを見てからホテルに向かいましょう。ホテルは会津若松市役所のすぐそばの「ホテルタカコー」というところです。

さあ、鶴ヶ城にやってきました。実は何年か前に一度来ているのですが、その時は外から写真を撮っただけで、お城の中までは見ていません。今回は時間もありますので、天守閣まで登ってみようと思います。駐車場の案内を頼りに進んでいったら西出丸駐車場に止めることが出来ました。天守閣に一番近い駐車場です。駐車場から梅坂をのぼっていくと、見えました、青空にくっきりと天守閣が。売店&案内所に無料ガイドのお知らせがありましたので、早速お願いしました。


西出丸駐車場(一番下の右)に着きました。近くてラッキー!

う〜ん、素晴らしい。絵になります。(写真だけど)

ガイドさんに案内してもらいます。

城主が結構変わっているのですね。

この階段が「武者走り」なのですね。

結構急な階段です。

石垣が美しいなあ。

さて、チケットを買って天守閣に登りますよ。入場料は510円です。

いいですねぇ〜、天守閣からの眺めです。これは真西の方角です。

天守閣の北から西方向の眺め。写真4枚の合成です。スクロールしてご覧ください。

天守閣の東方向の眺め。写真4枚を合成しました。スクロールしてご覧ください。

荒城の月の歌詞が書かれています。

荒城の月」の城とはここのことだったのですね。

					

次に場内にある茶室「鱗閣」を見学します。この茶室は、会津藩主蒲生氏郷の茶道の師である千利休が豊臣秀吉の不興を買って自害させられたのち、氏郷がその子である千少庵を会津に招いてかくまっていたそうで、そのときに少庵が建てたものだそうです。戊辰戦争後は茶人森川善兵衛宅で保存されてきましたが、平成2年に市制90周年を記念してこの場所へ移築復元されたということです。


「鱗閣」の文字は裏千家家元の書です。

これは「寄り付き」です。

来客はここで茶室に案内されるまで支度を整えて待つわけです。

ここは「鎖の間」、茶室部分は右側です。

千家の家系図がありました。

ここが「躙り口」、茶室の入り口です。

茶室自体は3畳、屋根に「鱗閣」とあります。

うまくプランターを隠してあります。

「黒ほおずき」というらしいです。

園内ではお茶とお菓子を楽しむことが出来ます。

鱗閣の外に出てきました。午後4時です。太陽が低くなりました。

ここから見る鶴ヶ城もなかなかなお姿。

お濠をのぞき込むシラサギ。魚がいるのかな?

向こうの枝にももう一羽いました。

場所を変えてもう一枚。これでお城もさようならです。

お濠。紅葉は今がピークですね。

さて、では次に行きましょう。駐車場料金は400円でした。このくらいの料金なら安心して、ゆっくりと見学することが出来ますね。

国道118号線を戻って北上し、東邦銀行の大きな建物のところで左折します。あれ、行き止まり?正面にホテル大阪屋さんがあります。あ、ここもだ。はい、これは城下町あるあるです。道がクランクになっているのですね。敵が攻めてきたときに、一直線に目的地に向かえないように道をジグザグにして混乱させるわけです。この道は七日町駅に続くのですが、大正浪漫の雰囲気のただよう通りということで観光客にも人気だそうです。この七日町通りは、藩政時代には、会津五街道のうち日光、越後、米沢街道の主要道路が通り、城下の西の玄関口として問屋や旅籠、料理屋が軒を連ねていたということです。明治時代以降、昭和30年代頃までは、会津一の繁華街としてにぎわっていたそうです。時間的にもうすぐ暗くなりますので、歩かずに車で往復してみようと思います。写真も車内から撮ったものなのであまりいい写真がありませんが、街の雰囲気は感じていただけるのではないかと思います。


これが七日町通りです。高層ビルはなく、散策に適した通りですね。

竹細工のお店「竹藤」は1624年創業。

創業300年の漆器店白木屋さん。

小野屋造花店。

空山」は最近オープンしたラーメン屋。

七日町パティオ。旧芳賀家の蔵を改装。

こちらは旅館です。

塚原呉服店本館。大正15年竣工。

塚原呉服店2号店。昭和2年竣工。

細かく見ていくと面白い建物がたくさんあって興味は尽きないのですが、暗くなってきましたしもう5時ですからホテルの方へ行くとしましょう。

ホテルは118号線に戻って数百メーター進んで左折したところにある、「ホテルタカコー」です。ビジネスホテルなのですが、2階に居酒屋もあるし、隣が焼き鳥屋でさらに駐車場が無料というのもありがたいですね。
ホテルの屋内駐車場に車を止め、チェックインしてシャワーを浴びてから食事に出かけます。ここでハプニング発生。ネットで近くの会津料理の店を調べておいたのですが、平日の晩ということで予約は入れていませんでした。ところが行ってみると入り口には「本日貸し切り」の紙が・・・・しまったあ、これは予想していませんでした。仕方がないので途中で見かけた普通の居酒屋へ。チェーン店ではなくローカルのお店なので、そこそこの料理はありそうです。さて、何があるかな?


部屋はまあ広いし清潔でお値段はリーズナブル、悪くないです。(ネット画像借用)

まずはタコのから揚げと福島名物の馬刺しをもらいました。ドリンクは黒霧島。

これで1300円はチト高い。

タコのから揚げはごく普通。

チキンの揚げマヨネーズはパリパリ。

イワシの干物は意外とGOOD!

店内の貼り紙です。雪国ならではの悩みですね。

このお店の代金は締めて約7000円でした。あ〜飲みすぎました。飲み切れるかと思って焼酎をボトルでもらったのでせっせと飲んじゃいましたからね。結局少し残ってしまって、ボトルをもらって帰りました。まあ、あとでホテルで飲み直しするか東京に持って帰りましょう。

 

●第4日目:11月2日(金)
旅行最終日の朝です。今日も窓から日光がたっぷりと差し込んでいます。
ホテル2階の居酒屋さんで朝食をいただきます。和食と洋食を頼みました。
朝食を済ませたら近所にある野口英世の公園を見てみようと思います。すぐ近くですし路地の奥にあるようなので、フロントに断って車をホテルの駐車場に置いたまま歩いて行ってみようと思います。


和食です。これで600円とは良心的なお値段です。

洋食です。こちらも同様に600円でした。

途中でろうそくのお店を見つけました。

これは和ろうそくです。

きれいに絵付けがされています。

このお店では絵付け教室も開催中。

この道もクランクになっています。

反対側から見てみました。

野口英世の公園に到着しました。

英世の銅像もありました。

ここに並んでいる石ですが・・・

東京港区にあった会津藩屋敷の石垣です。

創業1838年の酒屋さんです。

福西商店は100年前の建物を使用。

野口英世が書生をしていた病院。

英世の手の手術もここで行われました。

国道118号線は現在の会津若松の繁華街。アーケードになっています。

さて、ホテルに戻って車に乗り、「さざえ堂」に向かいます。

さざえ堂とは、寛政8年(1796)福島県会津若松市の飯盛山に建立された、高さ16.5m、六角三層のお堂の通称です。正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」といいます。当時飯盛山には正宗寺(しょうそうじ)というお寺があり、その住職であった僧郁堂(いくどう)という人が考案した建物です。かつてはその独特な2重螺旋のスロープ(この構造によってさざえ堂と呼ばれるようになったそうです)に沿って西国三十三観音像が安置され、参拝者はこのお堂をお参りすることで三十三観音参りができるといわれていました。また、上りと下りが全く別の通路になっている一方通行の構造により、たくさんの参拝者がすれ違うこと無く安全にお参りできるという世界にも珍しい建築様式を採用したことで、平成8年に国重要文化財に指定されたとのことです。 また、ここには猪苗代湖から引いた水が湧き出る池があり、厳島神社もあります。


山のふもとに上ってきました。

かなり水量のある池がありました。

何と猪苗代湖から引いている水の出口でありました。

そしてこれがさざえ堂です。さざえに似ているといえばそうでしょうか。

床が斜めになっているのがわかりますね。

内部は一方通行になっているそうです。

内部の構造を解説した資料がありました。(ネット画像借用)

こちらに小さなお社があります。

厳島神社だそうです。

これで会津若松市内の見物は終了です。このあとは猪苗代に移動するのですが、その前に一旦市内に戻ってウナギを食べたいと思います。選んだお店は「えびや」さん。明治時代の創業以来4代続く会津若松市内の老舗であり、お店の建物の風格もあってぜひ行ってみたいと思っていました。
11時の開店直後にお邪魔したので、ほかにお客さんはおらずゆっくりと食事をすることが出来ました。


お店に到着です。なかなか渋い店構えではありませんか。

開店直後なので他にはお客さんがいませんでした。

メニューからうな丼の大串と中串を頼みました。うな重ではないことに注目!

こちらはうな丼の大串です。肝吸いも付いています。

中串と大串を並べてみました。大串と中串の違いは、頭に近い
半分と後ろの1匹分が中串で、頭に近い半分2枚が大串です。

さて、メニューで注文したのはうな丼なのにうな重が来ているじゃないかと思った方、いませんか?うな重とうな丼の違いって、普通は容器の違いだと思いますね?お重に入っているのがうな重で、丼に入っているとうな丼と呼ぶ・・・なのにうな丼を頼んでうな重が来るとはこれいかに?実はこちらのお店では、ご飯にウナギをのせたものを「うな丼」と呼ぶのだそうです。うな重は同じ値段ですが、ご飯とウナギが別々になっているのだそうです。

美味しいウナギを味わった後は一般道で猪苗代に向かいました。野口英世記念館を訪問するのです。ここも以前に来たことがあるのですが、2015年4月にリニューアルしたそうです。


リニューアルされた野口英世記念館です。(ネット画像借用)

記念館の入り口です。入館料は600円でした。(ネット画像借用)

野口英世の生家がそっくり保存されています。

これが英世がやけどをした囲炉裏です。

ここは隣の座敷。

英世が床柱に決意を刻んでいます。

床柱の写真が展示されています。

身長153cmの英世の実物大写真です。

英世が愛用したスーツです。

英世のロボットと一問一答できます。

館内のあちこちに胸像がありました。

残念ながら磐梯山は雲に隠れています。

もし晴れていたらこんな風に見えたはずです。(資料画像を合成しました)

山の紅葉は期待したほどきれいではありませんでした。

もうすぐ郡山です。楽しい旅でした。

いやあ、楽しいドライブ旅行でした。
念願の村上の鮭料理をはじめ美味しいものも食べられましたし、きれいな虹も青空を背景にした鶴ヶ城も見られて良かったです。今年は今ひとつの紅葉が多かったのですが、それでも磐越地方の景色も楽しむことが出来ました。今度は山形、岩手方面に行ってみたいですね。

 

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