9月の3連休を利用しての家族旅行、今年は初めて山形県の米沢市と山形市に行くことにしました。 今年も、ネットのホテル予約サイトで山形県米沢市と山形市内のホテルを予約して自分の車で往復するプランです。一日目に米沢を、二日目に山形を見学してから、三日目は山寺へ移動して天童で鳥中華を食べて東京に戻ってくる予定にしました。 その結果の日程は;
となりました。天気が良くないうえに3日間の強行軍ではありますが、山形の食を味わうグルメ三昧の旅となりそうです。
さてどんよりとした雲が広がる土曜日、朝6時半に自宅を出発して首都高速で多少渋滞はありましたが東北道に乗り、蓮田サービスエリアで朝食をとりました。例によって表のラーメン専門店の鶏白湯ラーメンが11時をすぎないと開店しないので、フードコートに入って私が醤油ラーメンで女房は柚子塩ラーメン、息子はカツカレーを注文しました。これが醤油ラーメンです。 こちらがゆず塩ラーメン。醤油ラーメンも柚子塩ラーメンもスープが美味しくできていて、これで麺がもっと細ければさらに美味しかったと思います。 これは息子のカツカレー。辛さは適当でカラッと揚がったカツも美味しく結構なチョイスでした。今度は私もカツカレーにしようと思います。 東北道をひたはしり、福島ジャンクションから米沢へと向かいます。途中から雨が降ってきました。 米沢市に到着したのは11時でした。お昼には少し早いので市の中心部にある「伝国の杜」に行ってみます。隣には上杉神社があります。この博物館は米沢城本丸跡地でもある松が岬公園に隣接された博物館で、武家として栄えた上杉家ゆかりの貴重な品々を所蔵しています。 「伝国の杜(でんこくのもり)」という名称は、かつての米沢藩主「上杉鷹山(ようざん)」が、藩主の心得として残した「伝国之辞(でんこくのじ)」に由来しています。戦国武将として名をはせた初代「上杉謙信」とは対照的に、鷹山は「優秀な政治家」でした。弱冠十七歳で米沢藩の藩主となった鷹山(当時の名前は「治憲(はるのり)」)は、傾いた藩の財政を立て直し、産業を発展させることで人々を豊かにし、次世代のための教育にも熱心な「思想も実行力もある」人物だったのです。「伝国之辞」自体は「藩主(政治家)に対しての言葉」ですが、「人々のために残し、伝え、豊かにする」という鷹山の精神を受け継ぎ、「伝国の杜」という名称となったとのことです。館内のみどころは、なんといっても国宝「上杉本洛中洛外図屏風」。京の都の日常風景を描いたこの屏風は、織田信長から上杉謙信へ送られたものと伝えられています。約2,500人もの人物が身分を問わず描かれ、さらには動物や植物、名所や祭りなど当時の京都の様子を伺い知ることができます。その他にも『成せばなる 成さねばならぬ 何事も』の名言を残した九代目米沢藩主・上杉鷹山公の功績を振り返る展示があり、上杉家の歴史と米沢の文化を知ることができます。
続いて隣の上杉神社に向かいます。上杉神社はここ松が岬公園に位置し、戦国最強の武将と語り継がれている上杉謙信を祀る神社です。旧社格は別格官幣社であり、江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつです。鳥居の向こう側の森の中が上杉神社です。 鳥居をくぐったところに上杉鷹山の像がありました。上杉鷹山は、江戸時代中期の大名で、出羽国米沢藩9代藩主であり山内上杉家25代当主であります。諱は初め勝興を名乗り、後に治憲(はるのり)と変更をして、鷹山は藩主を隠居した後の号であるが、この名で良く知られています。財政ひっ迫で苦しむ米沢藩政の改革を行った江戸時代の名君として知られています。 米沢藩中興の祖である上杉鷹山は、現在の米沢市民にも尊敬されています。その例として、他の歴代藩主は敬称なしで呼ばれることがおおいのですが、上杉鷹山だけは「鷹山公」と「公」という敬称を付けて呼ばれることが多いといいます。その例がこの銅像の説明文です。 有名な「なせば成る」の石碑がありました。 神社の手前左側にある上杉伯爵邸は、明治29年に元米沢城二の丸跡に上杉家14代茂憲(もちのり)伯爵邸として建てられました。当時は敷地約5,000坪、建坪530坪という壮大な大邸宅でした。現在は料亭として使われています。 直江兼続は、米沢藩初代藩主上杉景勝を支えた文武兼備の智将です。関が原敗戦後、上杉家の米沢移封に伴い執政として米沢城下を整備。現在の城下町米沢の基盤を築きました。 鳥居の奥に見えるのが上杉神社。上杉神社は、戦国時代の名将で米沢藩の藩祖として崇敬されている上杉謙信を祭神としています。上杉謙信は毘沙門天を篤く信仰しており、「毘沙門天の化身」とも呼ばれています。上杉神社は、開運招福や諸願成就、学業成就、商売繁盛のご利益があるとされ、パワースポットとして知られています。?
上杉神社は、米沢城本丸跡に建立されており、境内には上杉氏ゆかりの文化財を収蔵する「上杉神社稽照殿」があります。稽照殿には、上杉謙信の遺品や、直江兼続の兜など、上杉家由来の宝物約300点が展示されています。?
神社の参道にある舞鶴橋には、「毘」と「龍」という文字が書かれた軍旗が掲げられています。「毘」は上杉謙信が毘沙門天を信仰していたことに由来し、「龍」は不動明王を表しています。
上杉謙信を祀った上杉神社。 上杉謙信の銅像。 独眼竜の異名で有名な、仙台藩初代藩主・伊達政宗は永禄10年(1567)、米沢城で生まれ幼少期から青年期(25歳)まで米沢城を居城としていました。政宗は、天正12年(1584)に18歳で家督を継ぎ、米沢城主となります。 そろそろお昼を回りました。予定していた肉そばを食べに行きましょう。 冷たい肉そばとは、山形絃の河北町発祥と言われる郷土食で、近年ではB級ご当地グルメとしても注目を浴びました。現在、冷たい肉そばは、河北町だけではなく山形県の村山地方を中心に幅広く提供されております。 鶏ダシで醤油味の、冷たい汁そばです。乗っている具は肉といっても、豚でも牛でもなく、鶏肉(親鳥)を使っています。コクのあるダシに負けないようなコシの強い田舎蕎麦が特徴。そばの上には、コリコリとした食感がくせになる『親鳥』と小口切りの『ねぎ』がのるシンプルかつ奥深いそばです。
相変わらず雨が降っていますので屋外ではなく屋内の見物をしたいと思います。が、メインの上杉博物館はもう見てしまったので、酒蔵「東光」に行ってみることにしました。 中には直売所があります。せっかくの機会なので「東光」のひやおろしを購入してまいりました。 さて、ちょっと早いですがホテルに入りましょう。 部屋にはいったらシャワーを浴びてさっぱりしました。
部屋に戻って昼間買っておいたシャインマスカットを冷蔵庫から取り出して食べてみます。 窓の外は雨が降り続いています。明日も雨模様だそうです。台風に当たらなかっただけ良しとしましょう。最終日には晴れる見込みです。
朝雨が覚めてカーテンを開けるとやはり昨夜の雨が降り続いています。 さて、このホテルは朝食付きと言うことなので顔を洗って階下に降りて行きます。食堂にはカレーの香りが立ち込めていました。ご飯とパン、それにかんたんな副菜が並んでいます。カレーも少しもらってみます。
ホテルを9時にチェックアウトして、一般道を北上して山形市を目指します。 山形の市内に入ってお昼には少し時間があるので「山形まるごと館 紅の蔵」を覗いてみることにしました。ここにはレストランやカフェもありますが、山形の名産のベニバナを使った逸品の展示やお土産屋さんが集まっています。
道路の反対側には「JAやまがた美味しさ直売所」というのがありましたのでそちらも覗いてみました。
さて、お腹も満足したので城跡公園に向かってみます。 お城のアクセスは二の丸北門から入ります。そして中の道路を通って県立体育館の前に車を停めるのが良さそうです。そこからだと本丸一文字門がすぐ目の前です。
天守閣こそ残ってはいませんが、再現されたわずかな遺跡から在りし日の霞城が目に浮かぶような気がしました。 もう一か所、ここには「山形市郷土館」という建物がありますので見てみましょう。 山形市郷土館として使用されているのは「旧済生館本館」というたてものです。「旧済生館本館」は、明治11年9月に竣工した擬洋風の病院建築物です。最初は県立病院として使用され、その後、明治21年に民営移管となり、明治37年からは市立病院済生館の本館として使用されました。創建当時は医学校が併設され、オーストリア人医師・ローレツが近代医学教育の教鞭をとったことで知られています。 欧米の建築を日本の職人が真似て建築した「擬洋風建築」が特長。建物を象徴する三層楼は、1層目が8角形で石敷きのベランダ、2層目は16角形の広間があり、ドーム型の緑色の屋根が特長。非公開の3層目は、8角形の小部屋があり広いベランダが取り付けられています。外観は3層なのに内部は4階建てと複雑な構造。日本古来の木造建築技術があるからこそできる職人の高度な技が伺えます。1層目を中心に囲まれた回廊は14角形のドーナツ型。この独創的な建築形態は、横浜にあるイギリス海軍病院を参考にしたのだといいます。 内部の装飾も見ごたえあり。細部を見ると洋風、和風の要素があちらこちらに。色とりどりのガラスを組み合わせて作られたアーチ型のガラス、特にケヤキで作られた螺旋階段の側面には、唐草模様の装飾が彫られています。洋風と和風がコラボレーションしているのですね。 昭和41年12月5日に国の重要文化財に指定され、それに伴い霞城公園内に移築復元の運びとなりました。昭和44年に移築復元工事が完了し、管理棟を付設のうえ昭和46年に「山形市郷土館」として新たに出発しました。
郷土館はここまで。では、霞城に戻って「二の丸大手門」に行きましょう。
山形城の外には、「最上義光歴史館」がありました。 残念ながら、館内の撮影が禁じられていましたので外観のみの撮影です。 さて、これで山形市内の観光を終了してホテルに向かいます。 このホテルでは前夜とは異なりトリプルルームを取ることができました。広さも十分で快適に過ごせそうです。シャワーを浴びてから夕食に出かけることにします。 予約を入れている店は山形駅前です。ホテルからだと歩いて15分くらいですが、ホテルそばから駅まで循環バスが出ているというのでそれに乗ることにしました。
いやあ、たのしかった、美味しかった。 今夜宿泊するホテルは山形グランドホテルです。 この部屋は広くていいですね。なんといっても前日のホテルは狭かったですからね。
朝起きてカーテンを開けてみます。雨は上がっていて、青空にこそなっていませんが、天気予報によるとこれから晴れて気温も上がるようです。良かった。
さて、目が覚めたのは8時過ぎです。 朝から営業している店というと、牛丼チェーン店くらいでしょうか。すると、スマホで検索していた息子が「めしや亭」と言う食堂を見つけました。そばやうどん、ラーメンなどとともに総菜を選ぶことができるいわゆる「食堂」です。 そこへ立ち寄って焼きサバ定食やアジフライ、玉子焼きなどを食べて、今日の予定は「山寺」へいくことです。 「山寺」は正式名称を宝珠山立石寺といい、天台宗に属し、創建は貞観二年(860年)天台座主第3世慈覚大師円仁によって建立されました。当時、この地を訪れた慈覚大師は土地の主より砂金千両・麻布三千反をもって周囲十里四方を買い上げて寺領とし、堂塔三百余をもってこの地の布教に勤めました。比叡山延暦寺は、平安の都(現在の京都)の鬼門(北東)を護るために創建されましたが山寺立石寺も同様に国家を鎮護し、大和朝廷による東北地方の経営の拠点として創建された寺院なのです。 我々は山寺の町に入って「山寺登山口」の真前にある「ふもとや」というお店の駐車場に300円払って車を置かせてもらい、登山口の階段を上ってまず立石寺根本中道(本堂)のお参りをしました。つづいては左方向に進んで貞明皇后記念碑、山寺日枝神社、立石寺宝物殿の前を通って松尾芭蕉と曽良の像を見て立石寺山門に到達しました。
山門の事務所で入場料300円を支払って登り始めます。
奥の院と言うとたいていはお堂がひとつあるだけなのですが、よくもこんな山の中にいくつものお寺をつくったものです。ちゃんと電気も来ていますが、別にケーブルカーを施設してあるわけでもなく、裏に地上へ降りる道路があるわけでもないのです。と言うことはお寺を作る資材は全て人力で担ぎあげたということでしょうか? 上に登って中性院でひと休みをしてから、ここのなかで一番の見晴らしを誇る五大堂へと降りて行きます。ここは五大明王を祀ってある、天下泰平を祈念する道場です。
帰りは同じ道を通って戻ってきました。 さて山登りをしたので、お腹が空いてきました。 このお店、駐車場に入って空いていた最後の場所を先に入った車にとられてしまった、と思ったら道路の向こう側に広い2階建ての自走式駐車場がありました。7割がた埋まっている駐車場に止めて列に並びます。10分くらい並んだところで我々の番となりました。
うん、なかなか美味しかったです。 さあ、これで山形見物もおしまいです。東京に戻りましょう。 大した距離ではないので、高速に乗る前に山形市内に戻って牛肉を買って帰ろうというのが今回の旅行の最後のミッションとなっています。実は前夜、長屋酒場に行く前に時間があったので駅ビル内の食品屋を見て歩いていて肉屋がセールをしているのを見てしまったのです。それで帰りに買って帰ることにしたわけです。結局米沢牛のすき焼き用を500グラム購入してきました。そのほかシャインマスカットや鳥中華も自家用にゲットして買い物ミッション終了、今度こそ東京に向かいます。 街を抜けて、山形蔵王インターから山形自動車道酒田線に乗って東へ移動し、村田ジャンクションで東北自動車道を南下します。 羽生パーキングエリアで夕食を取り、加須を過ぎたあたりから渋滞が始まりましたが、三郷料金所を通過したのが9時半、そこからはスムーズで10時前に平井で高速を降りることができました。 以上で2泊3日の、中身が濃い山形のグルメ旅のご紹介を終わります。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||