◆1960年代後半
中学時代に作成して高校2年生の初めくらいまで使用していたオーディオシステム?です。
棚の一番上は、SONYのモノラルテープレコーダーで、もちろん1モーターのガチャメカです。その右にある真空管のAMラジオのスピーカー出力につないで、ラジオ番組で流される音楽を録音していました。のちに言う「エアチェック」というやつです。
中間に棚の下からぶら下がっているのは、6BM8のプッシュプルのモノラルアンプです。Panasonic製のPA用アンプのジャンクを入手して出力トランスを交換して、回路を組みなおしたものです。タムラの出力トランスが良かったので、周波数特性を計ってもらったら10Hzまで低域が伸びていた記憶があります。
そして一番下のアンプは私が初めて作った真空管アンプで6F6GT管のプッシュプルのモノラルアンプです。筐体がPAアンプのため、マイク入力も2系統ありました。当時、中学の放送部に所属しており、出入りの音響機器業者のおじさんにアンプを作りたいと頼んで、3000円で部品一式を用意してもらって配線図を見ながら自作したものです。しかし完成しても音が出ず、そのおじさんの自宅まで行って配線の間違いを直してもらいました。その時に抵抗やコンデンサーはきれいに縦横に並べること、リード線はタコ糸で縛ってまとめることなどアンプ作りのイロハから教えてもらいました。その右にあるプレーヤーは、自宅にあったビクターの一体型ステレオからプレーヤーだけを取り外して、菓子が入っていた木箱を加工して移設したものです。正面の電源スイッチは住宅用の壁スイッチを流用しています。カートリッジの出力は隣のアンプのマイク入力に入れて、たぶんCR型イコライザーを使って音を出していたと思います。アンプは2台ともモノラルなので、両方を使ってステレオにしていました。写真にはありませんが、スピーカーはこのラックの一番上に3センチくらいの厚さのラワン板をはめ込み、16センチのフルレンジスピーカーを4個直並列につないで取り付けて鳴らしていたように記憶しています。ラワン板は、クラスの同級生の親が東札幌で材木屋をやっていたのでそこからもらってきたものです。のちに高校生の時にアルバイトをして得たお金でコーラルの20センチ2ウェイスピーカーをバスレフエンクロージャーに入れたものを1本購入したのでそれを6F6のアンプにつなぎ、片方はコーラル、もう片方は棚の後面開放バッフルの16センチ4発という変則的なもので音を出していました。
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◆1970年前後
高校生になっても相変わらず放送部に所属していました。そのころの放送室の写真がこれです。送出用のパワーアンプや切り替えのリレーボックスはすべて顧問の数学教師が自作したものだということでした。アナウンス用のブースはなく、操作も収録も打ち合わせも全部一つの部屋でやっていました。写真は、ヘッドホンをしているところから見て録音中ではなく、昼休みに自分たちで製作したドラマとか音楽番組を放送している先輩たちを写したものと思われます。
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◆1971-1972年前後
高校生になってアンプは真空管からトランジスターになりました。当時は「ソリッドステート」と呼んだものです。そのころ札幌駅裏に出来た電子部品の店「札幌電子」に入り浸り、店主の内田氏から古いオーディオ製品をもらいました。山水の真空管プリアンプにパワーアンプ、レコードプレーヤー、今のパイオニアの前身である「福音電気」製のスピーカーユニットなどです。アンプは仲間と設立した、高校の「オーディオ研究会」の機材として使わせてもらいました。
そして自宅用のシステムとして作成したのがこの写真のミキサーアンプです。入力はマイク1系統、PHONOも1系統、そしてライン1系統の3チャンネルが左右にそれぞれで、赤いつまみがマスターです。マイク入力は奥のパネルにあって、アンバランスのフォーンプラグもしくはミニプラグとなっています。パワーアンプを内蔵し、東芝のICを使用して20Wx2の出力が出るようになっています。スピーカー端子が右上奥に付いています。中央の黒いメーターは電流計ですが、パワーアンプの出力をモニターしています。特筆すべきは左奥に置いてある電池駆動のテープレコーダーで、3インチのオープンリールテープを使用しています。このテープレコーダーは再生ヘッドとテープスピードの可変装置を追加してあって3ヘッドのテープエコーマシンとして使用しています。エコーをかけるチャンネルは、左の白いロータリースイッチで選択でき、修学旅行のときに秋葉原のジャンク屋で購入したニキシー管で表示しています。写真では「2」という数字が見えますが、2チャンネルすなわち左のマイク入力が選択されていることがわかります。つまり2chのマイクに入った音声は、テープレコーダーで「あ」という音声が「あ、あ、ぁ、ぁ、ぁ、・・・・」というエコー成分になり、そのエコーは右側の緑のつまみで左右のアンプ出力にミックスされます。
パネルはアルミの1枚板で、ドリルとやすりとハンドニブラーで加工しました。塗装はクリアラッカーの吹き付けで、当時はまだインスタントレタリングがなかったのでプラスチックのテープにアルファベットを一文字ずつエンボスするテープで打ち出して貼り付けました。
ケースは、可搬型とするためにビニールレザー貼りのスーツケースを買ってきてその中に納めました。
写真に写っているように、このミキサーは普段は自宅でレコードプレーヤーのPHONO出力をミキサーのPHONOに入力し、スピーカー出力はこれも自作の、木箱にコンクリートを塗ってエンクロージャーとして20センチのフルレンジスピーカーを収めたスピーカーに繋いでオーディオシステムとして使用していました。
のちに予備校に通う傍ら、古い四角い旅行トランクに16センチスピーカーを6個組み込んだPA用のスピーカーボックスを作成し、教会の会議室や予備校の講堂を借りてフォークソングのコンサートを開催したときにミキサーともども持ち込んでPAに使用していました。
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◆大学1年時のシステム。(1973年)
学生寮の自室の様子です。二人部屋で、テープデッキSONY TC651とチューナーが私のもの、アンプとスピーカーは同室の相棒の所有物でした。彼は自分の机の上にアマチュア無線のHFの送受信機も持ち込んでいました。
TC651は、業務用のTC707という3モーターデッキを民生用にしてオートリバースを可能にした輸出モデルです。秋葉原のラオックスで見かけて一目で欲しくなりましたが、当時の9万円という価格は学生がすぐに払える金額ではなかったので、予約をしておいてようやく手に入れたものです。横に貼ってある英文のチラシを毎日繰り返し読みながらアルバイトをしてお金をためて購入しました。以来、10年位前にオークションで手放すまで我が家のオーディオシステムの中核となって大事に使用してきた製品です。
チューナーの上にあるスイッチボックスは、各電気機器の電源を集中管理するスイッチです。
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◆ミキサー第2世代(1973年)
大学1年生の夏休み、以前に作ったミキサーは友人に貸している間に内部でショートして基板が焼けてしまいましたので、新しいミキサーを作ることになりました。基本コンセプトに合わせてデザインを決め、またもや1枚パネルの加工を始めました。
ミキサーの工作で一番辛いのがスライドボリュームの縦穴ですね。ドリルで一列に穴をあけて、丸やすりで間をつないで1本の線にするのですが、一番いやな仕事です。
穴あけが終わったので、全体に黒のつや消し塗装をしました。取り付けるパーツもそろいました。これからが楽しいところです。
白い文字でレタリングをしています。スライドボリュームの目盛り線はマスキングテープを使って筆で書いています。
レタリングが終了しました。スライドボリュームにdBの数字まで入れて、我ながら丁寧な仕事をしていますね。この上につや消しクリアを吹き付けて文字を保護しています。
パーツを組み付けています。パーツ皿の部品がどんどんなくなっていって、アンプ作りの一番楽しいところです。ほぼ9割の部品を取り付け終わりました。
パネルの上の部品は全部取り付け終わりました。このあとは配線です。
配線作業中です。リレーを使ったコントロール基板やグラフィックイコライザーの基板など、前回よりもはるかに凝った仕様になっています。スライドボリュームの上にマイクロスイッチが付いていますが、これはボリュームをオフの位置から少し上げた時にマイクロスイッチがオンになってボリュームの上のランプの明るさが変わって、一目でオンになっているチャンネルがわかるようにするものです。
こちらはケースです。前よりグレードアップしてアルミの工具ケースを使いました。手前の黒いヒートシンクの下にパワーアンプが、反対側に電源が配置されています。トランスはミキサー部、パワーアンプ部それにグラフィックイコライザー部にそれぞれ独立して3個使っています。
完成しました。トーンコントロールの代わりにグラフィックイコライザーを装備しています。VUメーターがミキサー部の、前のミキサーから移設した黒いメーターがパワーアンプのレベルを示します。エコーマシンはテープレコーダーからスプリング式になっています。マイク入力は2チャンネル、ライン入力が6チャンネルになっています。テンキーは1-8チャンネルをダイレクトに選択して、エコーやフォールドバックなどの送り出しをオン/オフすることが出来るようになっています。
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◆大学1年時のシステム。(1974年)
1年生終わりころの自室の様子です。自作したレコードプレーヤーが増えています。また、アンプの両側に中古で買ってきたツイーターが置いてあります。たぶんアンプのスピーカー端子からパラレルに信号を取ってコンデンサーでローカットして聴いていたのでしょう。
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◆大学2年時のシステム。(1974年)
学年が上がって部屋と同室者が変わりました。前の同室者がアンプとスピーカーを持って行ったので、アンプを自作しています。アンプに取り付けられているキーボードはオープンリールデッキのリモコンとして使用しています。さらに蛍光灯スタンドの上には蛍光管を使った自作のデジタル時計とその上にコンセントからの消費電力を監視するための電流計が見えます。中央には大学の物理実験室で不要になって廃棄されるものをもらってきたオシロスコープとバルボルも並べて設置しています。オシレーターもどこかにあるはずです。バルボルの下にあるのはチューナーで、SONYのST-5150です。その手前にはレコードプレーヤーのカバーらしきものが見えます。最初のプレーヤーにはカバーがなかったので、これは多分荻窪のオーディオショップで購入したプレーヤーケースだと思います。スピーカーも自分で用意したはずですが、写真がありません。写真が残っていませんので想像ですが、荻窪のオーディオショップからエンクロージャーを買ってパナソニックの20センチウーファーとツイーターの2ウェイを使っていたのではないかと思います。
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◆大学3年の時のシステム。(1975年)
また部屋が変わって今度は窓を左にして机を置いています。先輩が置いて行った木製の本棚をもらってラックにしてあります。最上段に乗っているのが中古で買ったSONY TC9400で、その横にSONYの50WX2のFETパワーアンプ、中段がマランツのチューナーでその下に自作のプリアンプとパワーアンプを置いています。その横にオープンリールデッキが2台と測定器が並んでいます。
自作プリアンプと友人から借りた430MHz帯の無線機、下段には自作の100Wx2のDCパワーアンプと照明コントローラー、スイッチボックス、スライダックがあります。
JIMTECのケースを使って作ったプリアンプ。フロントパネルは3ミリくらいの厚みがあり、堅いアルミのために穴あけには苦労しました。中央にはビクターのグラフィックイコライザーを分解して基板をそっくりはめ込んであります。右1/3はテープデッキ2台分のリモコンと電源スイッチ、下はレコードプレーヤーの電源スイッチとスタート/ストップのリモコンになっています。
このテープデッキは、秋葉原の国際ラジオで買ったTEAC A2030のメカを使って自作したもの、下がTC651です。
テープデッキの横には真空管式の単現象のオシロスコープと同じく真空管のオシレーター、そしてバルボルのオーディオ測定器3点セットがおいてあります。
スピーカーの前にあるのがレコードプレーヤー。ターンテーブルはテクニクスのダイレクトドライブSP-12で、アームはオルトフォン、本体内にDCアンプの自作イコライザーを内蔵し、頭出しとプッシュボタンスタートが出来るコントローラーも備えた、放送局仕様としてあります。
荻窪のオーディオショップオリジナルのエンクロージャーにパナソニックの20センチウーファーとトリオのツィーターを取り付けたスピーカーシステム。途中でツィーターはフォステクスに変更しました。
さらにJBLのLE85とHL91を手に入れてからは、ウーファーだけを使い、500HZのチャンネルデバイダーをプリアンプに組み込んで低音はDCパワーアンプで駆動、中高音はSONYからもらったFETアンプで駆動していました。
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◆ミキサー第3世代(1974年)
大学3年生の時の大学祭でイベントをやることになってミキサーが必要となったのですが、どうせなら新しいミキサーでやりたくなって第2世代のミキサーを大幅に改造しました。基本コンセプトとして、キャノンコネクター対応のバランスマイク入力を2チャンネル、アンバランスを2チャンネル用意すること、全チャンネルにパンポットとゲインコントロールをつけること、さらに各チャンネルをモジュール構成にすることとしました。有難いことにそれぞれのパネル12枚の加工をすべて友人が受け持ってくれました。世の中にはパネル加工を丁寧にやって作るけれどそこで精魂尽き果てて先に進めない、という人がいるのです。
マイクアンプの回路は、日比野音響のミキサー卓の回路をコピーしました。ディスクリートでFETのK30と2SC458×2段のシンプルな増幅回路です。パワーアンプはそのままモニターとして残し、さらにフォールドバックとエコーセンド出力を設け、スプリングエコーは廃止しました。
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◆大学4年の時のシステム。(1975年)
寮では4年生になると個室に入ることができます。私が入ったのは一番端の部屋でしたが、縦長の奥にスピーカーを設置しました。
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前は裸だったJBLの中高音のホーンにベニヤ板でしょうか、バッフルが付いているのがわかります。
使用している機材に変化はなく、ラックごとそっくり持ち込んだようなものです。前の写真と比較すると、TEACのデッキのコントロールパネルがアルミになってVUメーターが装着されているのがわかります。再生専用機として使っていました。マランツのチューナーは、吉祥寺のジャズ喫茶「A&F」のマスター大西氏から譲り受けたものですが、相変わらず健在ですね。
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◆ミキサー第4世代(1990年代)
住んでいるマンションの夏祭りのイベントでカラオケ大会をすることになり、大学3年生の時のミキサーを引っ張り出して使おうと思いました。当時はかなりかっこいいと思ったミキサーですが、時代が変わると黒いパネルがとてもダサく見えてきました。それならそれぞれのモジュールとミキサーの回路はそのままで、ちょっとお化粧直しをしてみましょう。
まず、パネルを分解して部品を外し、塗装を落としてから明るいグレーに塗り直しました。次につまみを全部最近のモダンな色のつまみに取り換えました。VUメーターはLEDのピークレベルメーターに取り換え、グラフィックイコライザーもコンパクトになって復活、さらにフォールドバックのパネルにはインカム用のマイクも設置しました。どうです?ずいぶんモダンになったと思いませんか?このミキサー、いまでもこの姿で保存されていますが、さて、出番はあるのでしょうか・・・
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