春に続いてまたまた京都に行くことにしました。
目的は紅葉を観ることと、京都に戻ってきたニョーボのイギリス人の友人に会いに行くことです。本来は前の週に行きたかったのですが、私の仕事の都合で12月に入ってしまいました。紅葉に間に合えばいいのですが・・・
今回利用したツアーは、前回と同じ「JR東海」の「WEB限定 タイムセール!11・12月出発限定!京都1泊/京都駅付近」というもので、新幹線の切符とホテルの手配だけで観光ガイドや添乗員はつかないフリープランです。京都ではまたもや友人夫妻がおすすめの場所を案内してくれることになっています。
その結果の日程は;
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12月5日
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のぞみ7で東京=>京都、到着後友人の車で渉成院という東本願寺の別院へ。続いて智積院、養源院、東山山頂訪問後ゆば泉での夕食。ロームイルミネーションを見て、ホテル京阪京都グランデ泊。 |
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12月6日
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南禅寺前の無鄰菴を見てから北区のしょうざんリゾートでランチの後嵐山高雄パークウェイをドライブ。嵐山、錦市場のあと牛カツを食べてからのぞみ420で京都=>東京駅。 |
となりました。2日間の旅ですが、地元の方の案内のおかげで今回も内容の濃い旅になりました。なお、今回の旅行代金は、新幹線の時間帯希望割り増しを含めて一人23200円でした。仕事のせいとは言え、ピークを外れたので少し安くなっていました。
●第1日目:12月5日(火)
さて当日、利用する新幹線は東京駅発午前6時50分です。早いですねぇ〜5時起きして6時に自宅を出たらあたりままだ真っ暗です。最寄り駅までタクシーに乗ってほとんど満員の地下鉄で東京駅に向かいました。
乗車した新幹線は「のぞみ7号」。今回は希望通りののぞみの予約が取れました。東京からずっと快晴で富士山もきれいに見えました。京都には定刻の9時11分に到着しました。新幹線八条口の改札を出て左の端にあるのが宿泊するホテル京阪グランデ京都です。荷物をホテルに預けて、友人夫妻とはロビーで待ち合わせの約束です。
彼らの車に乗って最初に案内されたのは「渉成園」です。ここは東本願寺の飛び地の庭園ということです。
東本願寺が建てられた当初、豊臣秀吉が残した西本願寺には素晴らしい庭園がありましたが、新しく出来た東本願寺には庭がなく、庇護する徳川家として対抗するために徳川家光が土地を寄進して石川丈山に立派な庭を造らせたということです。
素晴らしい庭もさることながらここにはまだ紅葉が残っていて、のっけから秋の京都を満喫することができました。
ちなみにここでは修復のための寄付金として大人500円以上を収めることになっていますが、その代わりに20数ページの素晴らしいパンフレットをいただけます。それだけでも500円の価値は十分にあると言えましょう。
新幹線の車窓から冠雪した富士山がきれいに見えました。三島付近です。 |
京都駅です。長いですね。 |
今夜宿泊するホテルです。 |
渉成園の石垣ですが・・・一つだけ丸いのがありますね。 |
放射状の溝がありますね、これは石臼じゃありませんか、なぜ石垣に? |
正面の奥が庭園の入り口です。 |
ちょっと風情のある入り口ではありませんか。 |
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手入れが行き届いていますね。 |
竹垣があると京都という感じがします。 |
奥の丸い障子窓の建物は、蘆庵という二階建ての茶室です。 |
中央に変わった形の建物がありました。 |
これは傍花閣(ぼうかかく)で明治時代の1892年に再建されたそうです。 |
嬉しいことにここではまだ紅葉が盛りでした。 |
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印月池といいます。 |
これ、紫式部という名前です。 |
ろう風亭です。この庭園で最も古い建物で、迎賓館として使われたそうです。 |
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渉成園を出ると、七条通りを東に走って突き当たったところが成田山新勝寺や川崎大師を擁する真言宗智山派の総本山である智積院です。
ここは大きなお寺で境内に会館があってレストランもあります。ちょうどお昼時なので、ここでランチをいただきましょう。私は温かい天ぷらそばを、ニョーボはニシンそばを頼みました。
なお、たいていのお寺もそうですが、この智積院会館には宿坊=宿泊施設もあって、宗派信条を問わず誰でも宿泊できるそうです。ビジネスホテル並みの料金で泊まれて、さらに宿泊客は朝のお勤めに参加でき、さらに国宝の障壁画や庭園を見てお茶の接待も受けられるというのですから、普通ではできない体験を楽しめますね。
食後は大日如来をお祀りした本堂を見てから、ここならではの名物を拝観します。
ひとつめは専用の宝物館に納められた長谷川等伯とその一門による金碧障壁画です。建物は空調がされており、柵はありますがガラス越しではなく直接国宝を見ることができます。入り口でイヤホンを渡されますので、あの狩野永徳と腕を競った絵師の作品を、詳細な説明を聞きながらじっくり鑑賞することができました。
宝物館の横には講堂があります。
ここの庭は東山界隈で一番美しいと言われ、書院に面して築山を背景とし築山からの滝の水を受けるように南北に細長い池が設けられた設計は、かの千利休が好んだと言われています。この日はあいにく書院の縁側の修理が行われており、工事のために池の水が抜かれていました。その上縁側の床板がはがされていて、せっかくの水の上に縁側が張り出していて水の上にいるような感覚を味わうことが出来なかったのは残念でありました。
本堂は左の門の奥ですが、その前に智積院会館の食堂でお昼を食べます。 |
私は体が暖まる天ぷらそば。 |
そしてニョーボはニシンそばです。 |
こちらが大日如来をお祀りする本堂です。大きいですね。 |
こちらに長谷川等伯の壁画があります。 |
これが宝物殿です。 |
こちらが国宝の長谷川等伯『松に秋草図』。風に揺れる草花の柔らかさを表現。(ネット画像) |
長谷川等伯『楓図』。太く力強い木の描写に落ち着きと貫禄を感じます。(ネット画像) |
続いて講堂へやってきました。千利休が好んだという庭園があるそうです。 |
庭の一部が見えてきました。あいにく修繕作業中で池の水が抜かれているそうです。 |
書院には見事な襖絵がありました。長谷川等伯の「楓図」の復元模写ですね。 |
これが利休好みの庭の全景です。中国の廬山を形どって造られているそうです。
2枚の写真を合成してパノラマ写真にしました。 |
屋内にもきりっとした雰囲気が漂っています。 |
そこここに小さな庭がありました。 |
五色幕の色は、「五つの智慧(ちえ=人間の欲望をむなしいものだと知り、
物事をありのままに正しく見つめていくこと)」をあらわしているそうです。 |
ここにも美しい竹垣が組まれています。 |
この、輪を二つ作るのが関西流だそうです。 |
この智積院の庭を使った化粧品のCMがありました。それがこちら。
1972年のCMらしいですが、岩下志麻さんおきれいですね。
智積院を出て、七条の通りを西に少し走ったら左手に見えてくるのが有名な三十三間堂です。そのすぐ隣に養源院という小さなお寺があるのですが、これがなかなか知る人ぞ知るという濃い観光スポットなのでありました。
その理由のひとつが「血天井」です。なんだか怪談じみて聞こえますが、京都はまさに血で血を洗うような争いの中心地でもあったわけです。で、この「血天井」というのは戦国時代の武将が戦いで絶命した際の血痕が付いたお城の床板をはがして、供養のためにお寺に持って行き、足で踏んでは失礼だからと天井として張り替えたものです。そして、養源院というのは戦国時代の武将であった浅井長政を弔うために淀君によって建てられたお寺でして、のちに徳川家の菩提所となりました。1600年に関ヶ原の戦いに先立って行われた伏見城の戦いにおいて、石田三成に攻められた徳川家康の家臣である鳥居元忠は、伏見城を守って自害し、その際に床に血の跡が残ったというのです。後に家康はその床板を京都市内のいくつかの寺に移して天井として弔ったということですが、養源院の天井にはその鳥居元忠本人の体の跡が残っているところが貴重なのだいうわけなのです。
実際、案内人が長い棒(レーザーポインターなんか使いません)で天井を指して「ここが手の跡、ここが足」と生々しく説明をしてくれるので、背筋がゾゾっとしてしまいます。とは言え、天井に残った血痕は400年も前のものです。ヒトの血痕であることは化学的に証明出来るでしょうが、「誰」のものかまでDNA鑑定できたのか、疑問が残りますね。さらに、血痕が手形足形のようにはっきりと輪郭がわかるというのも不思議です。自害したなら介錯で、もしくは殺害されたなら首をはねられて死体の周りは血の海になるのが普通ではないでしょうか?はっきりと形がわかるような手の跡ペタン、足跡ペタペタを首のない本人がどうやって残したのか?誰かの血を浴びてその辺を逃げ回った侍の足跡じゃないの?と言いたくなってしまうのは私だけでしょうか?
さて、もうひとつのほうは紛れもない芸術品です。
当時、無名だった俵屋宗達が養源院の絵師に抜擢されて白象、唐獅子、麒麟を描いた杉戸絵はすべて重要文化財となっています。
ほかにも左甚五郎の手による鴬張りの廊下、小堀遠州の庭など見どころが多いお寺なのですが、血天井はもちろん俵屋宗達の絵など屋内はどこも撮影禁止となっているので、手に入るかぎりネット画像で紹介させていただきましょう。
これが養源院の入り口です。 |
坂の上が本堂です。 |
本堂から門を見下ろしたところです。紅葉が見事でした。 |
養源院の宣伝看板です。(ネット画像) |
本堂です。(ネット画像) |
これが「血天井」?400年経った血痕が真黒じゃなくて赤いのが意外ですね。(ネット画像) |
指先の跡が濃く残っています。出血は大したことなかったのかな?(ネット画像) |
俵屋宗達が杉の戸に描いた名作です。昔教科書で見た記憶があります。 |
養源院は昔は非常に格式の高いお寺で、一般人が入ることが出来るようになったのは明治以降とのことです。それくらい徳川幕府との関係が深かったということで、修繕に必要な資金は幕府に依頼すればいくらでも引き出せたという話も聞きました。ただ、かつてそれほどのお寺であったにしては、内部はろくに照明が設置されていないためにどこも薄暗く、床の敷物には傷みが目立ち、説明には今時カセットテープに録音しておいたものをラジカセで聞かせるなどちょっと時代を超越した存在を感じさせられるところでありました。
そして次に向かったのは東山。
蹴上を経由して東山ドライブウェイを登って、東山山頂公園に着きました。ここの展望台からは京都の市街が見下ろせます。市内に戻って次に訪ねたのは上京区にある日蓮宗の大本山である妙顕寺というお寺です。ここも紅葉が見事ということですが、残念ながらすでに見ごろは終わっていて、地面に真っ赤なじゅうたんのように落ち葉が残っているのみでした。
路地を歩いているとしゃれた建物があり、見ると千利休が市内に建てた茶室がここにあったということのようです。不審庵という名前は利休の別号であり、利休が大徳寺門前に造立した四畳半の茶室に不審庵と名付けたもののようです。もちろん現在の建物は当時のものではありません。
最後に時間調整で宝ヶ池にプリンスホテルに立ち寄りました。ホテル内の売店でお菓子などのお土産を買いました。
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山頂に青蓮院門跡という由緒ありげなお寺がありました。 |
山頂の公園展望台から京都の街並みが一望できました。 |
ここが日蓮宗の大本山妙顕寺です。 |
紅葉がきれいなお寺なのですが・・・ |
小さいながらも由緒ある格式の高いお寺でした。 |
近くに風雅な建物がありました。 |
千利休が建てた茶室不審庵の跡だそうです。
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宝ヶ池プリンスホテルの庭です。ライトアップがきれいですね。 |
さて、今夜の夕食は「ゆば泉」の宝ヶ池店で湯葉のコースをいただきます。モダンなインテリアはカフェみたいですが、出てきたお料理は和食と洋食のコンビネーションでした。私は飲み物として赤ワインをいただきました。
お店の外観です。(ネット画像) |
まずは冷たい湯葉のすり流しスープでスタートです。 |
続いて季節の前菜の盛り合わせ。 |
本命の温かい汲み上げ湯葉、お醤油をかけていただきます。 |
湯葉のグラタン、ハフハフの熱さでした。 |
これは選択のお肉のお料理で牛のヒレステーキです。 |
こちらは魚料理でブリの照り焼きです。 |
ご飯も2種類あって、これはジャコご飯。 |
こちらは湯葉のあんかけご飯です。 |
デザートには豆乳プリンです。 |
あ〜美味しかった、どうもご馳走様でした。
ホテルまで送っていただく途中にイルミネーションがきれいなところがあるということで向かったのは、京都に本社を置く半導体メーカーのロームが実施する「ロームイルミネーション」です。イルミネーションの玄関口である五条通りと佐井通りの交差点に作られたロームイルミネーションのシンボル、ヤマモモの木(高さ約10m)をはじめとして、86万球のLEDが本社屋周辺に飾り付けられていて、光りのプロムナードを演出しています。
佐井通りのメタセコイアの木に飾られた光のプロムナード。 |
シンボルツリーのヤマモモの木は花言葉にちなんで大切な人への想いを象徴しているとか。 |
11/24から12/25までの一か月間、京都の夜を彩ったそうです。 |
はあ、きれいでしたね。イルミネーションを堪能した後は京都駅の八条口にあるホテル京阪京都グランデまで送っていただきました。チェックインして部屋に荷物を置いてから、寝る前にビールでも飲もうと隣のビルの地下の飲食街に降りてみたら、まだ9時半だというのにどこも営業終了ではありませんか。駅ビルの方にも行ってみましたが、全店10時閉店ですって。仕方ないので寿司店ではも寿司のお土産とコンビニでビールと焼酎を買ってホテルの部屋でテレビを見ながら飲むことにしました。
まだ9時半なのにもうお仕舞ですって。 |
仕方なく部屋飲みをします。 |
●第2日目:12月6日(水)
私たちが宿泊した部屋は5階です。エレベーターに乗ると真ん前に京都駅が見えます。ちょうど新幹線のホームと同じ高さですね。友人夫妻が迎えに来るのは11時で、しばらく時間があります。ツアーには朝食が含まれていないので、散歩がてら向かいの駅ビルまで行ってスパゲティとコーヒーの朝ご飯を済ませました。
さて、今日のスタートは南禅寺前にある「無鄰菴」というお庭からです。
ここは、明治27年(1894)〜29(1896)年に造営された明治大正時代の政治家山縣有朋の別荘で、昭和16年(1941年)に京都市に寄贈されて現在は市が管理しています。広い日本庭園と数寄屋造りの母屋、藪内流燕庵写しの茶室、煉瓦造り二階建て洋館の3つの建物によって構成されており、庭園は七代目小川治兵衛に作られたものとして高い評価を受けているとのことです。また洋館ではロシアとの緊張関係が続く中、山縣有朋、伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎の4名によっていわゆる「無鄰菴会議」が開かれ、、その後の日本の東アジア外交の方針を決定づける重要な会議となったとのことです。2階の洋室のひとつは当時の様子をそのままに保存されていました。
エレベーターに乗ると目の前が京都駅です。 |
左側の建物がホテルです。(ネット画像) |
岡崎地区にきました。ここは動物園です。 |
無鄰菴に入るためには右の小さな入り口をくぐります。 |
目の前に見事な庭がありました。 |
母屋の内部です。 |
青い部分はホットカーペットでした。 |
ガラスが平面ではなく歪んでいます。 |
左の白い建物が洋館です。 |
これが洋館の一階です。 |
二階は無鄰菴会議の様子が残されています。 |
庭を流れる水は琵琶湖疏水から防火用水の名目で許可を得て引き込んだのだそうです。 |
無鄰菴の前にはかの「瓢亭」がありました。一度は行ってみたいところですねえ。 |
屋根の下に瓢亭の看板があります。 |
こちらが瓢亭の入り口です。 |
隣に漬物屋さんがありました。 |
京都出身の友人に贈り物をします。 |
いやあ、いいお庭でしたね。自分の庭に琵琶湖疏水を引き込むとは、さすがは政界の重鎮ならではですね。
ではここでお昼です。前回夕食をご馳走になったしょうざんリゾートの「わかどり」で、チキンソテーやから揚げ定食を食べて嵐山高雄パークウェイを走ります。ここは紅葉がきれいなのでしょうが、残念ながらこの時期ですと紅葉は終わっていました。
パークウェイを下りたら桂川沿いにさかのぼります。実は私、京都には何度も来ていますが、嵐山は初めてなのです。ほぉ〜これが有名な渡月橋ですか・・・さすがに観光客が多いですね。一番奥の宝厳院の前にお地蔵さんがたくさん並んでいました。嵐山羅漢と呼ばれ、そもそもは宝厳院の呼び掛けで、日本各地の個人や企業がそれぞれ思いを石仏に託して奉納したものだそうです。ユニークな表情のさまざまなお地蔵さんがあって、なかなか面白いですね。
これ私が選んだチキンソテーです。 |
こちらはニョーボの唐揚げ定食です。 |
葉が落ちていますが、ハート形をした木だそうです。 |
菖蒲が丘展望台から見た京都市街です。中央に京都タワーが見えます。 |
京都タワーをアップにしてみました。 |
向こうに見えるのは比叡山でしょうか。 |
眼下に見えるのは桂川、ここがいわゆる保津峡です。中央に保津峡トロッコ駅が見えます。 |
桂川沿いに走っています。これが有名な渡月橋ですね。 |
さすがに観光客がいっぱいです。 |
渡月橋を上流側から見たところです。こちらからのほうが眺めがいいですね。 |
保津川下りの船が見えます。 |
あ、ここに紅葉がありました。 |
むむ?これは何ですか?。 |
嵐山羅漢、70体のお地蔵さんが並んでいるらしいです。 |
なかなかいい表情ですね。 |
手の上にいるのはカエルでしょうか? |
癒される笑顔ですね。 |
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我、鳥と戯れる・・・ |
なんだか寂しそうです。 |
なんか女性っぽい。 |
お疲れ様、という感じ。 |
これが宝厳院の入り口です。 |
人力車も大忙し。 |
ところで市内を走っていて、コンビニやチェーン店の看板が違うところがあることに気がつきました。京都の景観を守るために地区ごとに看板の立て方や色に規制があるのですね。赤や黄色の鮮やかな色は面積を減らしたり、違う色に置き換えて派手にならないようにしているようです。いくつか目についたものを写真に撮って、標準のものと較べてみました。なお、標準の写真はネット画像を使用しました。
セブンイレブンはバナーの色の幅が細くなっています。 |
マクドナルドのロゴの色は赤ではなく茶色に変わっています。 |
これもオレンジを押さえてシックになっています。こっちのほうが好きだなあ。 |
鮮やかな黄色を白に変更しています。 |
嵐山を見たあとは錦市場まで送ってもらって友人夫妻とお別れしました。今回も内容の濃いご案内、本当にありがとうございました。
錦市場は何度も来ていますし、2011年に来た時は車でしたのであれこれ惣菜を買って帰ったものです。今回も何か酒のつまみになるものを買って帰ろうと思います。とは言ったものの、なんだか市場の雰囲気が違いますね。観光客、それも中国人と修学旅行生が多いのです。そのうえ、歩きながら食べられる串刺しの惣菜やスイーツを売る店が増えてすっかり観光地化してしまいました。以前のようにおかずをあれこれ探せる店はわずかしか残っていませんね、困ったことです。結局ちりめんと生麩を買ったくらいで、これはという酒の肴も買えませんでした。
じゃあ、買い物は止めてビールでも飲みましょう。
どこかに気の利いた店はないかな?「天下一品」の本店?それとも「松葉」のニシンそば?そうだ、八坂神社の前を走っている時に見かけた牛カツ屋さんの牛カツを食べてみたいですね。スマホで調べたところ、好都合なことに京都駅前に支店があることがわかりました。では地下鉄に乗りましょう。「四条」からふたつめですね。
京都の地下鉄では東京のパスモがそのまま使えるのですね。自動改札にタッチしてホームへ。ふむ、ホームドアも設置されています。京都駅に着いて改札口に向かおうとエスカレーターに乗ろうとしてはっと思い出しました。そうが、関西は左ではなく右に立つんでしたね。あは、なんか変な感じ。
牛カツのお店は「勝牛」という、わかりやすい名前です。場所もすぐわかりました。メニューで見ると定食ばかりで牛カツの単品はありませんが、定食からご飯を抜いてもらうことができました。ビールを飲んで待つこと約10分。ついに牛カツが登場しました。へ〜たれの種類が多いですね。それはともかく、牛カツはやわらかくておいしいですねえ・・・もうちょっと安ければもっといいのですけどね。
錦市場にやってきました。 |
周りは修学旅行生ばかりです。 |
生麩をお土産に買って帰ります。 |
これが京都の地下鉄ですか。 |
これが関西流「エスカレーター右立ち」です。 |
ギュウカツのカツギュウ、発見!! |
黒毛牛カツ定食のご飯抜き、到着しました。 |
さすがに和牛は美味しいですね。火の通し方もさすがです。60秒で揚げるそうです。 |
そしてこちらが牛ロースカツ。たれは左から出汁醤油、山椒塩、醤油、カレー、温泉玉子。 |
和牛よりはちょっと固めですが、味は悪くないですね。おいちい! |
これ、温泉玉子です。ソースとして牛カツをひたして食べます。このままご飯にのせたい! |
はぁぁ、本場の牛カツ、美味しかったですねぇ。
ぶらぶらと歩いてホテルに戻り、預けておいた荷物をピックアップします。駅ビルでお土産を買って、改札を通ったのは7時半。列車の時間は8時25分なのにずいぶん早くないかって?むふふ、実は作戦があるのです。
実は前回、コンコースにニシンそばを発明した店「松葉」の支店があるのを発見したのですが、発車間際で食べる時間がなかったという経緯があるのです。そこで今回は列車に乗る前に絶対食べて帰ろうと時間を空けておいたというわけです。で、その本家のニシンそばはどうだったかというと・・・ニシンは大きいのですが、惜しむらくは汁がぬるい、薄いそしてなによりもそばがいけません。角が丸くてくたっとしていて、立ち食いソバだってもっとましな店があるのじゃないかしらというレベルでした。これで本家とはちょっと残念というしかありませんねえ。それとも本店では全然違うのかもしれませんがね。
さあ、来ました。待望のご本家のニシンそばです。 |
このソバ、見ていただければわかりますね。 |
やれやれ、最後の最後でテンションが下がってしまいました。気を取り直して新幹線のホームに上がりましょう。あれ?あれれれ?なんか変。さっきの地下鉄は皆さん右側に立って関西流のエスカレーターの乗り方だったのに、新幹線ホームへのエスカレーターは東京と同じ左側に立っているではありませんか!どうしてでしょうね。今京都駅にいる人が皆関東から来た人関東に帰る人ということはありえません。京都から出かける人もいれば、大阪に帰る人だっているはずです。ここだけエスカレーターのルールが違うのはどうしてか、ご存知の方がいたら教えてくださいませ。
新幹線のホームに上がるエスカレーター。 |
急ぐ人が右側を通っています。 |
さて、列車が到着しました。8時25分発のぞみ420号です。
東京駅到着は定刻通りの22時43分でした。 今回も好天に恵まれ、紅葉も美味しいものも楽しむことができました。また来年も行きたいと思っています。
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