久しぶりに京都に行くことにしました。 その結果の日程は;
となりました。前回と同じ2日間の旅ですが、お二人の元気な姿を見て安心しました。なお、今回の旅行代金は、新幹線の時間帯希望割り増しを含めて一人23,700円でした。 ●第1日目:12月5日(火) いまは完全にチケットレス化が進んでいて、JRから送られてきたメールのQRコードを自動発券機にかざすだけで乗車券や特急券を受け取ることが出来るようになっているのですね。 乗車した新幹線は「のぞみ225号」。今回も希望通りののぞみの予約が取れました。東京からずっと快晴で富士山もきれいに見えました。京都には定刻の13時15分に到着しました。新幹線ホームまで友人のご主人が出迎えてくれました。奥さんは足が悪いので、八条口のショッピングセンターの駐車場に止めた車の中で待っているとのことでした。 さて、久しぶりの再会を祝した後最初に案内されたのは「京都御所」です。ここは2013年に来た際にも見てはいるのですが、いくつか見落としたところがあるので出来たら再度訪問したいという希望を伝えておいたところまた連れてきていただいた次第です。京都御所って昔はあらかじめはがきで観覧申し込みをしなければいけませんでしたが、何年か前から事前申し込みが不要になって通年一般公開されています。 今回の京都見物は京都御所からスタートです。ということで一日目の工程はこうなりました。 烏丸通を北上して中立売御門から入るとすぐ御苑の駐車場があります。ここに車を置いて清所門で手荷物検査を受けて御所の中に入ります。ここからは見学コースに従ってぐるっと反時計回りに中を見ていきます。御所に入って最初に右手にある建物が見学者のための休憩室です。
「鳴くよウグイス平安京」のとおり、794年(延暦13年)、桓武天皇によって定められた平安京の内裏(皇居)は現在の京都御所から約2kmほど西にあったのです。しかし、度重なる内裏の焼失により、重臣たちの邸宅を一時的に皇居とする里内裏が置かれるようになり、1227年(安貞元年)の火災以後は、元の位置に内裏が再建されることはありませんでした。現在の京都御所は、里内裏のひとつであった東洞院土御門殿に由来するもので1331年(元弘元年)、光厳天皇がここで即位して以来、御所とされたものです。1392年(明徳3年)の南北朝合一によって名実ともに皇居となり、明治に至るまでの500年もの間天皇の住まいでした。豊臣秀吉や徳川幕府の時代になると、御所周辺には宮家や公家たちの屋敷が集められ、何度も大火に見舞われながらも明治初期の東京遷都まで、大小140以上の屋敷がたちならぶ公家町が形成されていました。1869年(明治2年)明治天皇の東京遷幸に伴って、多くの公家達も東京に移住したため、公家町は急速に荒廃していきました。1877年(明治10年)に京都を訪れた明治天皇は、その荒れ果てた様子を見て、京都府に御所保存と旧観維持を命じました。これをうけて京都府は屋敷の撤去、外周石垣土塁工事、道路工事、樹木植栽等の保存修復事業を開始し、1883年(明治16年)に完了しています。御所の管理が京都府から宮内省に引き継がれた後も整備は続けられ、1915年(大正4年)の大正天皇の即位に際して、建礼門前大通りの拡幅改良等の改修工事が行われ、ほぼ現在の姿になっています。御所の敷地は東西約250メートル、南北約450メートルの南北に長い長方形で、かつての内裏に属していた多くの建物と庭園が残っています。 京都御所の中で最も中心的な建物といえば「紫宸殿」ということになります。京都御所の正殿として、1868(慶応4)年に明治天皇が公家や大名を前に新政府の指針「五箇条の御誓文」を示し、明治、大正、昭和の3天皇の即位礼が行われた場所でもあります。直近の令和天皇の即位礼は東京で行われましたが、紫宸殿にあった天皇が座る御座である「高御座」と皇后の御座である「御帳台」だけは皇居に運び込まれていましたね。 東西約33m、南北約23mの御殿は南側を向いています。古来中国では、国の君主である天子は北を背に南を向いて人民を治める「天子南面す」という思想がああり、唐の都の長安を手本に造営された平安京はこの思想を反映しており、同じく平安時代の復古を目指して1855(安政2)年に再建されたこの紫宸殿にも受け継がれているのです。 さて、御所の見学を続けましょう。
京都御所を出て、堀川通りを京都駅の近くまで下ったら右手に見えてくるのが西本願寺です。隣にある広大な駐車場に車を止めて降りてみました。ここは見覚えがあります。前回来たときは大きな法要イベントの後でテレビ中継の機材やお堂内の椅子が残っていました。 さて、西本願寺の見どころと言えばなんといっても国宝の「唐門」でしょう。
そして次に向かったのは四条河原町。 私は刺身と天ぷらの定食をいただき、女房は「なでしこ」というそうめんが付いた料理を選びました。
さて、夕食が済んだので、京都駅前まで送ってもらいました。我々の宿泊するホテルは京都タワーホテルのアネックスです。タワーホテルは駅前に高いタワーがありますのですぐわかりますが、アネックスはどこでしょう?その近くにあるはずなのですが、周囲を見渡しても分からなかったのでタワーホテルに行ってフロントで教えてもらいました。こうしてチェックインを済ませた後、のどが渇いたので駅前にあるビアレストランに入ってプレミアビールを2杯飲んでホテルに戻りました。 ●第2日目:12月6日(水) 前日に見学したのは西本願寺で、今朝の待ち合わせは東本願寺です。 当時の石山本願寺は、室町時代に浄土真宗を再興した蓮如(れんにょ)によって建立された浄土真宗の一大拠点であり、難攻不落の砦でした。織田信長は、石山本願寺を10年以上攻め続けましたが、結局石山本願寺を降伏させることはできませんでした。しかし浄土真宗との戦いに天下統一の足止めされることを嫌った信長は、当時の正親町天皇(おおぎまちてんのう)を間に入れて和睦を求めたのです。その時に本願寺内では信長と和睦するか、徹底的に戦うかで議論が分かれ、この2つの考えによって本願寺内が2派に分かれてしまったというのです。これが本願寺が東と西に分かれるきっかけとなりました。 当時の石山本願寺のトップは顕如(けんにょ)でしたが、顕如と三男の准如(じゅんにょ)は和睦を主張し、一方長男の教如(きょうにょ)は徹底抗戦を主張て激しく対立しました。最終的には顕如が和睦を決め、石山本願寺を明け渡して准如と共に和歌山に移ったのです。 その後も顕如と教如の間に生まれた溝は埋まることがなく、顕如は浄土真宗のトップの座を長男の教如ではなく三男の准如に譲ります。当然納得できないのは教如です。時の支配者は徳川家康に移っていましたが、家康にとっても浄土真宗は邪魔な存在でした。そこで家康は浄土真宗の勢力を弱めようとして、不満を持っている教如に寺地を寄進して、東本願寺を別に建てさせました。この結果、家康の目論見通り本願寺は東と西に完全に分かれ、分断敵対するようになってしまったのです。
無事本願寺の前でピックアップしてもらって、これから向かうところは東山にある、かのサスペンスの女王と呼ばれた故山村美紗さんのお墓がある真言宗泉湧寺派の「雲龍院」です。 雲龍院は、応安五年(1372年)に後光厳天皇によって建立され、後後円融天皇が康応元年(1389年)に龍華殿を建立して妙法写経を始めたことが始まりです。以来、泉涌寺の別院である雲龍院は皇室と密接な関係を持つお寺です。後水尾天皇以降の陵墓が後山にあり、霊明殿はその皇族の位牌堂のことで、現在の建物は明治元年に孝明天皇・大宮御所・静寛院宮・各尼門跡宮からの援助を受け建立されました。内陣の中央には、北朝の後光厳天皇、後円融天皇、後小松天皇、称光天皇の御尊牌そして左側には、後水尾天皇から孝明天皇までの歴代天皇、右側には東福門院・普明照院といった江戸時代の皇子・皇女の尊牌が安置されています。また霊明殿前には徳川慶喜が寄進した石灯籠が配置されています。また、このお寺は写経の場としても知られ、現在でも後水尾天皇から寄進された写経机が使われているとのことです。 駐車に車を止めて参道をしばらく上ると木立に囲まれた雲龍院が見えてきました。
雲龍院を出て、駐車場までだらだらと坂を下っていると左側に柵で囲った場所がありました。
雲龍院を見たあとは京都駅前に戻って、アバンティというショッピングモールに車を止めて、モール内のレストランで昼食を取りました。 昼食の後は錦市場の近くまで車で送ってもらい、ご夫婦とはそこでお別れをしました。 錦市場は何度も来ていますし、前回来た時も鱧のつけ焼きなどを買って帰りました。今回も何か酒のつまみになるものを買って帰ろうと思います。とは言ったものの、なんだか市場のなかが寂しいですね、お休みの店が多いのです。
錦市場はいまから400年前の平安時代から続いているそうです。この場所は、質の良い地下水に恵まれていたからでもあり、人口の多い中心部にあったこと、位置的に御所への納入に便利であったことも錦市場の発展の理由として考えられます。そして伊藤若冲は錦市場の青物問屋の生まれで、錦市場の西の入り口あたりには生家跡を示すモニュメントがあります。「野菜涅槃図」をはじめ若冲の描く絵画のなかには蕪、大根、レンコン、茄子、カボチャ、柘榴、蜜柑、桃といった果物までが題材として登場します。 ここでは子持ちアユの甘露煮、出汁巻き卵、生湯葉、サバ寿司などを買いました。 ホームには数分おきに電車が入ってきます。なかには「修学旅行」と表示された新幹線もあります。チャーター列車ですね。コロナが収まりつつある中で修学旅行も再開されたのですね。 さて、列車が到着しました。15時13分発のぞみ230号です。 東京駅到着は定刻通りの17時24分でした。帰宅したらシャワーを浴びて錦市場で買ってきたおかずでビールを飲みましょう。
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