|
11月の3連休に続く息子の夏休みを利用しての家族旅行、今年は前半の3連休を山荘で過ごしてそのあとは長野県の松本市と松代市、長野市をめぐることにしました。
旅行の目的は、かねてから見てみたかった国宝「松本城」に「大本営の塹壕」「川中島古戦場」などを見てみたい、あわせて「松茸尽くし」というものを食べてみみたいと思ったからです。長野と言えば「善光寺」がありますが、そこは40年くらい前にお参りにいったことがあります。他は全て初めて見るところばかりです。もしかすると紅葉にはちょっとばかり早いかもしれませんが、秋の一日を楽しもうと思います。
今年も、ネットのホテル予約サイトで長野市内のホテルを予約して自分の車で往復するプランです。ただ、「松茸尽くし」だけはいわゆる「松茸小屋」で食事をして宿に泊まるケースと、旅館に泊まってそこで夕食の松茸コースを食べるケースがあります。費用的にはどちらでも変わらないのですが、どうせなら由緒ある日本旅館に泊まりたいと思ってネットで検索して一日目に別所温泉「花屋」を、二日目に長野市内の老舗ホテル「犀北館ホテル」を予約しました。
ルート的には山荘を出て本栖湖、精進湖を抜けて甲府南インターから中央道で松本まで、それから別所温泉までが初日のコースです。二日目は上田市周辺を見て松代を経て長野市内までのコース。三日目は善光寺を見て東京に戻るコースです。

その結果の日程は;
|
|
11月4日(火)
|
車で山荘=>松本、松本到着後そば屋「女鳥羽(めとば)」でお昼。続いて「松本城」を訪問。別所温泉の旅館「花屋」泊。夕食は館内で「松茸尽くし」を味わう。 |
|
|
11月5日(水)
|
別所温泉を出発して、上田市へ移動して上田城址や真田歴史館を見物。ランチは東御市の「さくら」でそば。その後松代市の「象山地下壕」と「川中島古戦場」をみて長野市内の「犀北館」ホテルにチェックイン、夕食は市内の「鳥蔵」で水炊き。 |
|
|
11月6日(木)
|
午前中「善光寺」を見物、その後市内の「麒麟児」でラーメンの昼食後、「北野美術館」を見学。長野インターから上信越・関越道経由で帰京。 |
となりました。
天気に恵まれて3日間とも晴れの日が続きましたが、今回もグルメ三昧の旅となりました。
今回の旅行代金は、走行距離約760kmの交通費が高速代13,020円+ガソリン代が42.57リッター(17.8km/L)で7,620円、2軒の宿泊代(初日の夕食含)が162,485円、そして3日間の食事代が31,869円と入場料などが2,650円で総額217,644円(お土産代を含まず)でした。
●第1日目:11月4日(火)
さて青空がひろがった火曜日、朝10時に山荘を出発して国道469号線を西へ、続いて139号線を北へ向かいます。つまり富士山のふもとをぐるっと回るわけですね。目指す中央高速に乗るためには富士山の反対側までこのようにして富士山を迂回しなければなりません。
朝霧高原つまり西側から見る富士山は、南山麓の山荘から見たときの一番高い剣ヶ峰が左ではなくて右に来ています。

こちらが途中の諏訪湖パーキング。天気が良いので車を停めて写真を撮りました。

諏訪湖パーキングから北西のほうを見ると、遠くに雪をかぶった北アルプスの山々を見ることができます。

松本市内に入って、お昼にしようとコインパーキングに車を停めて目当ての蕎麦屋に向かいます。
その蕎麦屋は「四柱神社」の境内にあるそうです。

ところが目当ての蕎麦屋「こばやし」には15人以上が並んでいます。待っていると時間のロスなので他を探すことにします。

市道1502号線は両側が参道みたいになっていて、通称を「なわて通り商店街」と言います。

市内を流れるのは「女鳥羽川(めとばがわ)」です。


目指すそば屋に到着しました。ここには駐車場がありましたね、残念。
 |

これは私が注文した「とろろそば」¥1,450。 |

女房が注文した「三重ねそば」。三種類(海苔・とろろ・抹茶)の風味を楽しめます。¥1,450。 |

息子が注文した「鴨そば」¥1,700。 |
女鳥羽川って風情がありますね。近くの端に古い街灯がありましたので、思わずパチリ。

駐車場に戻って車を出して、松本城に向かいます。城の北側にある市営開智駐車場に車を停めてお城に向かいます。
松本城は、姫路城、彦根城、犬山城、松江城とともに国宝に指定されています。天守の築造年代は文禄2〜3(1593〜4)年と考えられ、現存する五重六階の天守としては日本最古の城です。 松本城は、戦国時代の永正年間に造られた深志城が始まりです。戦国時代になって、信濃の守護代小笠原氏は井川にあった館を東山麓の林(今の里山辺)に移します。その家臣らは林城を囲むように支城を構え、守りを固めました。深志城も林城の前面を守るために造られたのです。その後、武田信玄が小笠原長時を追い出して松本を治める拠点として深志城を選びますが、天正10(1582)年に小笠原貞慶が、本能寺の変による混乱に乗じて深志城を奪回して呼び名を松本城と改めました。 天正18(1590)年、豊臣秀吉が天下を統一すると、徳川家康を関東に移しましたが、このとき松本城主小笠原秀政が家康に従って下総へ移ると、石川数正、康長父子が代わって入城して松本城と城下町の整備を進め、近世城郭としての基礎を固めました。
 |
「埋橋」から左回りで順に城を見て行きます。
|
手前の赤い橋が「埋橋」です。
|

水面に映るお城を取り込んでみました。
|
水に映るお城が素晴らしいですね。
|
 |
どの角度から見ても美しいお城ですね。
|
お城の向こうに北アルプスが見えます。
|
 |

丁度城内では菊祭りが開かれていました。
|
次に「太鼓門」を見学します。
|
門の横の壁に備えられた、敵に矢を射るための「佐間」。
|
「太鼓門」の由来となった太鼓。
|
見事な造りの天井です。
|
天守閣と北アルプスが一望できます。
|
 |

二の丸御殿跡です。地面に間取りが書かれた石が埋まっています。
|

北東隅の櫓の跡です。紅葉した木がきれいです。
|
 |

歩いた道筋をオレンジ色でかきました。
|

帰り道、松本神社と言う由緒ありそうな神社を見つけました。
|
見事に紅葉しています。
|
 |
次に向かったのは、同じく国宝となっている「開智学校校舎」です。
明治9年に完成した旧開智学校は地元の大工棟梁立石清重が設計した学校建築で擬洋風建築の代表です。文明開化の時代を象徴する洋風とも和風ともいえない不思議な建築は「擬洋風建築」と呼ばれています。


近代学校建築としては初めての国宝となった旧開智学校校舎は、国宝指定にあたっては、「近代化を推進した開化期の洋風建築受容を示し、近代教育の黎明を象徴する最初期の擬洋風学校建築として、文化史的に深い意義を有する」と評価されたからだそうです。

その国宝たる例は入口の装飾に見ることができます。旧開智学校校舎は、こうした擬洋風建築の特質をよく備えていて、例えば、コーナーストーンのような建物四隅のギザギザ模様は、西洋建築における石積みのようにみえますが、伝統的な材料である漆喰に灰色の色をつけて壁に塗り重ねて石っぽく仕上げている部分なのだそうです。

隣に洋館がありますが、これは旧司祭館と呼ばれ、明治22年(1889)にフランス人のオーギュスタン・クレマン神父により、松本城のすぐ北側に建設された西洋館です。以後、100年近くにわたり松本カトリック教会の宣教師たちの住居として使用されました。平成元年(1989年)、司祭館の建っていた場所は道路拡幅改良事業により教会の再配置等が必要となりました。解体は平成2年、旧開智学校校舎西側の現在地に移築復元されたのは平成3年11月だそうです。

平成17年(2005)には、旧松本カトリック教会司祭館として長野県宝に指定されたとのことです。

さて、松本市内の見物はこのくらいにして、次へ移動しましょう。
次の目的地、別所温泉は山の反対側にありますので、国道254号線を使って横断します。ここからだと別所温泉までは約40キロありますので、約1時間ほどで到着できるでしょう。
ここが今夜の宿泊所です。一連の写真はネット画像を借用しました。
大正六年創業で6,500坪の敷地に建つ登録有形文化財選定の老舗温泉旅館だそうです。全て木造なのだそうです。
ここが「花屋」さんの入り口です。

入口を入るとすぐ落ち着いたロビーがあり、ソファに座ったままチェックインができます。

そして部屋へは全て渡り廊下を通って向かいます。ぎしぎしと音がする渡り廊下はなぜか懐かしく、昔を思い出させます。

部屋は完全和室で、控えの間が付いていま す。
扉や窓は昔を思い出させるねじ締まり錠となっていて、これも懐かしいダイヤル式の黒電話が迎えてくれます。
これがねじ締まり錠です=>

部屋に入って荷物を降ろして時計を見ると(この部屋には時計もありません)まだ食事まで1時間ほどあります。ではその間にお風呂に入るとしましょう。
向かったのはオール大理石貼りの浴場です。ここは夜10時以降は女性風呂になると、大正時代の洋服を着た仲居さんから教えられました。湯船のお湯は勿論源泉かけ流しだそうで、手前がややぬるめで奥のほうが熱くなっています。

一日走って疲れを取ってすっきりとしたところで夕食の時間となりました。
夕食は食事処でいただくことになっていますので、浴衣のままドスドスと渡り廊下を歩いて本館の食事処へ向かいます。
食卓にはすでに3人分の食事がセットされていました。これが献立です。
 |

これが「八寸」の「旬采盛り合わせ」。左上は松茸と青菜の和え物です。 |

このお酒は予約の時に頼んでおきました。蔵元、佐久の花酒造の「佐久の花」です。
|

続いて出てきたのは松茸の土瓶蒸しです。 |

うーん、なんともいい香りです。 |
マグロ、サーモン、カンパチの3種類のお造りです。
|
松茸の茶わん蒸しです。 |
これは美味しい。
|

松茸だけの天ぷらです。大きいですねえ、豪華ですねえ。 |

でました、松茸料理の王者、焼き松茸です。 |

大きな松茸をゴロンと焼いています。お汁は出てくるかな? |

松茸のすき焼きセットが出てきました。 |

お鍋でグツグツと煮て行きます。 |

お肉も入れましょうね。 |

さてと、玉子に浸けていただきます。 |

松茸ご飯にもいっぱい入っています。 |

デザートは柿でした。 |
ああ、美味しかったですねえ。
初めての「松茸尽くし」を十分に堪能させていただきました。
●第2日目:11月5日(水)
朝雨が覚めてカーテンを開けるとやは今日もいい天気です。
さて、このホテルは朝食付きなので、その前にひとっ風呂浴びて来ましょうか。
昨夜の大浴場とは違ってこちらは「若草風呂」という、緑色の伊豆の石で湯船が統一されています。この石は温まるのが早いと言う特徴があるそうです。

朝食は昨夜とは違う食堂でいただきます。もちろん例によってぎしぎしと渡り廊下を渡ります。

ここが我々の部屋に続く渡り廊下です。 |

廊下を歩くと水の音がすると思ったら、庭に水車がありました。 |
 |

食堂の天井です。見事ですねえ。
|

これが各々の朝食のセットです。 |

鍋が付いています。 |

玉子料理はオムレツ、出汁巻き、温泉玉子から選択。
|
 |

デザートは三宝柑のゼリーでした。 |
朝食を終えたら部屋に戻ります。
出発の用意をしながら、お部屋の写真を撮りましょう。なんだか親戚のおばあちゃんの家に遊びに来たような感覚ですね。

ガラス戸一枚開けるだけで窓の外です。 |

テレビの下に懐かしい黒電話が置いてあります。 |

これが花屋さんの玄関です。車は右の白い建物の前に駐車しています。 |

当然ながら植栽の手入れは見事です。 |
さて、車はまっすぐ上田城跡公園に向かっています。
城址公園は、上田市街地のほぼ中央に位置を流れる千曲川に沿って、真田氏、仙石氏、松平氏と紡がれた400有余年にわたる歴史を持つ上田城の城跡です。上田城は真田家によって天正11年(1583)に築城が開始され、完成後は真田昌幸が城主となっています。その後徳川軍によって2度攻撃されるものの落城しませんでした。慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦後に昌幸、信繁父子が九度山(和歌山県)に幽閉されると上田城は建物は壊され、堀なども埋められる「破城」が行われました。昌幸の後にこの地を治めることになった長男の信之は城の復興はせず、三の丸に屋敷を構えて政治を行ったそうです。元和8年(1622)に信之が松代(長野市)へ領地替えとなると、小諸城(小諸市)から仙石忠政が入り、寛永3年(1626)から上田城の復興を開始します。しかし、本丸、二の丸、三の丸の堀や土塁、石垣等の整備の他、本丸には2つの櫓門と7つの隅櫓を築きますが、2年ほどで忠政が亡くなったことで復興が中断され、その後再開されることがないまま松平氏に交代し、明治維新を迎えまました。明治時代になると上田城内の土地や建物、樹木などは払い下げられ本丸内の西櫓以外の建物は壊されてしまいます。その後昭和24年に上田遊郭に移築されていた櫓が城内に戻され(南櫓、北櫓)、平成6年には本丸東虎口櫓門が復元されました。
上田城跡公園は上田駅から徒歩12分、上田菅平インターから車で15分の位置にあります。お城のアクセスとしては上田城跡南駐車場と上田城跡北駐車場の二つの有料駐車場があります。上田城跡南駐車場は一段下がったところにあるので、お城を見るためには急な坂を上らなければなりません。上田城跡北駐車場は同じレベルにあるので坂を上る必要はありません。

私たちは青い線のように手前の南駐車場に車を置いて急な坂を上って上田城を見学しました。 |

この崖が「尼ヶ淵」と呼ばれる天然の河岸段丘を利用した要塞。向こうに見えるのは「西櫓」。 |
 |

公園で園児たちを遊ばせている保母さんを見ました。園児たちを運ぶカートには座席があってびっくり。 |

これがお城に登るための階段。大きな荷物や車いすの方は北駐車場を利用すると良いです。 |

ようやく階段を上ってきました。矢印のところに下へ降りる階段があります。
正面に見える「西櫓」は、仙石氏によって再建された、園内で江戸時代から現存する唯一の建物だそうです。 |

城址には、南櫓、北櫓、西櫓(3つとも長野県宝指定)が現存している。この建物は真田神社。 |

こちらは北櫓。中を見学できるのですがこの日は休館日でありました。 |

真田神社。こちらは営業中。 |

東虎口櫓門は明治時代の写真等を参考に1994年に復元されたもの。 |
 |

東虎口櫓門の表側。こちらが本来の入り口。私たちは南駐車場から登ったため裏から見てきたのでした。 |

真田石は、高さ約2.5m、幅約3mある城内で最も大きな石で、天正11年(1583年)に真田昌幸
(幸村の父)が築城の際に、本丸の東虎口櫓門の右手の石垣に柱石として据えたもの。 |
 |

左側に見える武将姿の人々は「信州上田おもてなし武将隊」と言う若者たち。ガイドもしてくれる。 |

せっかくなので、顔はめパネルで写真を撮ってもらいました。 |

旧市民会館が取り壊しをしていると思ったらこの工事をやっていたのですね。 |

最後に真田神社にやってきました。 |

真田神社は真田氏だけではなく、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としています。 |

向こうに見えるのは西櫓です。 |

ここに銅像がありますね。誰なのでしょうか? |

真田幸村その人でありました。 |

西櫓もお休みで中が見られませんので登りませんでした。 |
 |

ここに古い井戸があります。 |

|

南駐車場から見える南櫓。 |
以上ざっとひとめぐりして戻ってきました。まだ1時間以内なので駐車代金は無料でした。
さてもう一か所、次は「真田歴史館」という建物がありますので見てみましょう。
ところがここは館内撮影禁止となっていて内部の写真がありません。外からとったっ写真だけ掲示しておきます。「歴史館」というだけあって、武田二十四将として活躍した真田幸隆をはじめとする真田一族の歴史を、古文書や武具等の豊富な資料で紹介しています。館内の展示は、年代に沿って配置されており、観覧していくうちに真田氏の活躍の様子を分かりやすく理解することができます。

正面の門を含めて堂々とした造りになっています。 |

こちらは資料室かな。 |

入場料はかなりリーズナブルです。これでシニア料金があるともっと良いですね。 |

では中に入ってみましょう。 |

この辺りはロビーなので撮影してもOKだそうです。
確かにポスターばかりで、貴重な展示ではないです。 |

この向こうは撮影禁止となっています。 |
歴史館はここまで。では、もう13時になるのでお昼に行きましょう。
ここは上田市の郊外になるので周囲にレストランの類がありません。グーグルで調べて、少し遠いですがよさげな蕎麦屋さんを見つけましたのでそこに行きましょう。
その蕎麦屋さん「さくら」は小諸市に近い東御市にあります。
私は「粗そば」というものを頼みました。「丸抜き」という玄そばの皮を取り除いたものを挽いて粉にしたもので打ったそばのことで、皮の香りを楽しめるそばだということです。

「さくら」に到着しました。駐車場も空いていました。 |

これが「粗そば」です。細くてシャキッとした私好みのそばです。1200円。 |
ああ美味しかった。それでは次に行きましょう。次は松代に向かいます。
ナビに入力すると、てっきり18号線を行くのかと思ったら、山の中を通る道を選択しました。
国道35号線を通って着いたところは、「松代象山地下壕」です。
旧日本軍によって作られたこの地下壕は、松代大本営地下壕とも呼ばれ、舞鶴山(現気象庁松代地震観測所)を中心として、皆神山、象山に碁盤の目のように掘り抜かれ、その延長は約10kmに及んでいる地下壕です。第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦の最後の拠点として、極秘のうちに、大本営、政府各省等をこの地に移すという計画のもとに、昭和19年11月11日から翌20年8月15日の終戦の日まで、およそ9か月間で建設されたもので、終戦までに全体の約8割が完成しました。当時の金額で2億円の工事費が投入され、総計で1万人が当初8時間三交代、のち12時間二交替で工事に当たったとのことです。
この私設は無料で開放されています。少数の管理人がいるだけなので、自分でヘルメットを出してきて注意事項を守って施設を見学する必要があります。
見学できる時間は朝9時から午後4時までです。管理事務所で入った記録と出てきた人を照合していますので必ず正確に申告するようにしましょう。

管理事務所(手前の建物)。ここで入坑人数と住所(どこから来たか)を伝えます。 |

ロッカー(手前)と地下壕の入り口(奥の茶色のドア)。ここには人はいません。 |
 |
 |

想像したよりも巨大な施設でした。鍾乳洞とは規模が違いますね。 |

ヘルメットを着用したらドアを開けて中に入ります(ドアは必ず閉めること)。 |

いよいよ中に入ります。 |
 |

横穴には入れなくなっています。 |

ところどころに地図があります。行って戻るだけなので迷うことはありません。 |
 |
 |

もう十分に見ました。帰るとしましょう。 |
いやあ、すごい設備でしたね、興味深かったです。戦争中とはいえ、なんとも大掛かりなものを作っていたものです。
塹壕の隣にはお寺がありました。のれんがかけてあるのですが、「六文銭」は真田家のものです。何かゆかりのあるお寺かと思い、予定外ですが見学させてもらうことにしました。
このお寺、恵明禅寺を創建したのは真田伊豆の守と言いますから、真田信之(さなだ のぶゆき)で信濃上田藩の初代藩主、後に信濃松代藩の初代藩主となった人のことですね。つまりは真田幸村のお兄さんにあたる人でした。一緒に奥さんであったあんず姫こと豊姫もここにまつられています。

「六文銭」は真田家の紋章です。気になったので覗いてみます。 |

なんと真田幸村の兄が創建した寺でした。 |

これが真田屋敷より遷座されたという稲荷大明神。 |

中央には松代8代藩主真田幸貫作と伝わる布袋像が鎮座しています。 |

8代藩主真田幸貫の時代に描かれたという、松代藩御用絵師大島芳暁斎作と伝わる龍の絵。 |
思わぬところで真田家のお寺に出会いました。それでは本日最後の目的地、川中島に向かいましょう。
川中島とは長野県長野市の犀川と千曲川に囲まれた三角地帯の地名です。川中島の戦いは、武田信玄と上杉謙信の間で、北信濃の領有権をめぐり5度にわたって行われた合戦の総称です。

ここが川中島。赤が武田軍で青が上杉軍です。 |

これは八幡原史跡公園の一騎討ち像で、上杉謙信(右)の太刀を武田信玄(左)が軍配で受け止めるところ。 |

こちらが武田信玄。 |

そしてこちらが上杉謙信。 |
 |
さて、これで今日の見物は終わりです。お疲れ様。
今夜の宿である長野市内のホテル犀北館へ向かいます。ホテルは繁華街に近いところを選びました。

無事チェックインして、今夜はトリプルルームです。
夕食は水炊きで有名な「鳥蔵」を予約してあります。ホテルからは15分くらいの距離なのでぶらぶらと歩いていくことにします。

お店は全室和室なので足が悪い私には座椅子を用意してくれています。

前菜の鶏の和え物が来ました。 |

続いてはシーザーサラダが出てきました。 |

さすがは信州、なので馬刺しも出てきます。 |

続いては鶏の胸肉の料理。 |

ここで鍋に火が入ります。冷たいとスープは固まっています。 |

グツグツと煮立ってきました。 |

まずは塩と胡椒だけでスープとして飲んでみます。 |

そして鶏肉を先にいただきます。 |

つづいて野菜類を煮て行きます。 |

宮崎風の鶏の炭焼きが出てきました。 |

締めはうどん、ラーメン、雑炊から雑炊を選択しました。 |

このスープがなんとも美味しいのです。 |

デザートはモモのアイスです。 |
いやあ、美味しい水炊きでした。あんな濃いスープの水炊きは、昔ボート仲間が良く集まった戸田の水炊き屋依頼ですから、久しぶりでした。
お腹もいっぱいだし、今夜はよく眠れそうな気がします。
11月6日(木)
さて、目が覚めたのは8時過ぎです。
このホテルでは朝食がついていませんので、一旦外出してから善光寺の参道を歩きながら探して食べることにします。
ネット検索で「朝から営業している店」を探してみると、スマホで検索していた息子が「小川の庄」と言うおやきの店を見つけました。囲炉裏で焼くおやきは10時からなのですが、蒸したおやきなら9時から食べられるのだそうです。

ここがそのおやきのお店です。 |
 |
 |

かぼちゃと切干し大根のおやきです。お店がそば茶のサービスをしてくれました。 |

そして野沢菜のおやきももらいました。こちらでは「縄文おやき」と呼んでいます。 |
おやきも食べたことですし、次は善光寺まいりと行きましょうかね。
善光寺は、長野県長野市元善町に存在する無宗派の単立仏教寺院で、住職は「大勧進貫主」と「大本願上人」の両名が務め、実際の護持運営は天台宗と浄土宗が担っているのです。 開業したのは西暦644年ということで、百済伝来のご本尊を信濃にお連れした本田善光の名を取って「善光寺」になりました。ご本尊は日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来で、絶対秘仏であるとのこと。おやきの店から見ると、参道がずっと上り坂になっていることがわかります。

ここから善光寺まではずっと登り坂なのです。 |

まだまだ登っていきます。 |

ようやく入口にたどり着きました。 |

ようやく仁王門が見えて来ました。 |
 |

善光寺の守護神である仁王像が左右に立ちはだかっています。 |

仁王像は、高村光雲とその弟子米原雲海の合作です。
左が阿像(阿は事の始まり)、右が吽像(吽は事の終わり)となっています。 |
 |
 |
 |

やっと山門に到着しました。 |

で、ここで煙をかぶって・・・ |

そしてこれが本殿です。 |
 |
 |
 |
 |

「牛に引かれて善光寺まいり」の由来がそうだったのかと知りました。 |

ここは浄土宗の尼僧寺院だそうです。 |

1400年の歴史がある寺院とのことです。 |

ここから見るとずっと下っているのが分かります。 |
この後はホテルに戻ってチェックアウトをします。
パーキングから車を出しタラもう12時です。どこかでお昼を食べましょう。ラーメンがいいということなので郊外の「麒麟児」というお店に向かいます。
はあ、美味しかったですねえ。鶏の旨味が良く出たスープでした。
お値段がかなり強気でしたね、長野にしては。
さてとではこの後は東京に戻る前にもう一か所だけ見て行きましょう。「北野美術館」という、長野県では大手の「北野建設株式会社」創始者の北野吉登と二代目の次登の親子二代のコレクションを収蔵、展示する私設の美術館です。年に3、4回の展示替えを行い、四季折々の日本画のほか泰西名画、近代日本の洋画、彫刻、工芸品、書など様々なジャンルの作品を、作者で言うと、横山大観、上村松園、平山郁夫、下山観山、岸田劉生、河合玉堂などを中心に、ルノワール、ローランサン、シャガール、ピカソ、ユリトロ、ロダンなどの作品500点余りを見ることができるそうです。
駐車場を探してぐるぐる回ってしまいましたが、結局隣の「湯島天満宮信濃分社」の駐車場に停めておくのが良いようです。

美術館の入口は湯島天満宮の奥になっています。 |

見事な枯山水の庭。 |

館内はお庭を除いて撮影禁止となっていました。 |
さてこれで長野の見物はおしまいです。
午後2時過ぎに長野インターから上信越道に乗って、藤岡で関越道に乗り換え、大泉で東京外環道に乗り換えて首都高速と言うルートで帰ってきました。ただ都心環状線が渋滞していたので、飯田橋で高速を降りてした道を通って18時半に自宅に着きました。全行程760キロメートルの信州の旅、良く食べて良く遊んだ楽しい旅でありました。
=> Outing Topへ
|