今朝は「ライトハウス」で和食を選びました。
ここで、朝食の和食をご紹介しておきましょう。
と思ったら、部屋に通知が入っていました。
ええ、那覇に行かないの?がっかりですねえ。せっかく楽しみにしていたのに・・・・
まあ、この時期に台風が発生するとは、誰も想像していませんでしたからね。仕方がありません。
さて、気を取り直して、観光、観光。
おとずれたのは日南海岸の「油津」という港です。ここは「鬼の洗濯板」で有名な宮崎は日南海岸があるところです。確かに海岸を見るとそんな感じがありますね。
最初の観光地は「鵜戸神宮」という海岸添いの場所ですが、雨の中を観るほどのこともないと判断してパスして次の観光ポイントである「飫肥(おび)城跡」へ向かいます。
これが「飫肥城跡」の地図です。バスは「E」の場所に止まります。
ここにはかの木村寿太郎の生家もあるところです。まずは寿太郎の生家(記念館)をみてみましょうか。ここがそうです。
日本を代表する明治の外交官小村寿太郎は、飫肥城下の町役人の長男として生まれ、日露戦争における戦時外交を担当し1905年、ポーツマス会議日本全権としてポーツマス条約を調印した人物として知られています。
中を見てみます。
ここが中庭ですね。
これが日南の花、「ジャカランダ」ですね。この花のお祭りがあるそうです。
「飫肥城跡」へ行ってみます。
城跡自体が小学校の校庭になっているのですね。村の一番奥が城址で、そこから手前に大きく開けています。この地を開いた伊東家は藤原氏南家の子孫で、800年続いた由緒ある家柄です。飫肥は天正16年(1588)祐兵(すけたけ)が初代藩主となってから、明治4年の廃藩の時まで一貫して伊東家がこの地を治めました。初代藩主は伊東祐兵ですが、豊臣秀吉より九州征伐の功績により、飫肥城が与えられ、祐兵以来約280年間、14代にわたり伊東家が統治したのです。
NHKのテレビドラマでも取り上げられています。
「城」の定石通りまっすぐには進めないようになっています。
武家屋敷を象徴する門構え、風情ある石垣が残る町並みは、昭和52年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
城の中には「資料館」がありましたので、見学してみました。
これは昔の瓦です。
そして殿様が乗った籠。きっと参勤交代の時にも使われていたことでしょう。
甲冑がいい状態で保存されていました。
村の名物で「飫肥揚げ」というそうです。長い列のため買うのは断念しました。
最期は観光バスの最期の拠点、油津の商店街です。
キッチンカーにしてはそこそこの味でしたが、宮崎ならではの味とは思えませんでしたね。
12時半に船に戻りました。
そして15時に出港です。
このあとは一路那覇に向かって南下をすべきところなのですが、このまま沖縄に向かうと台風の影響下に入るため逆に北上して博多湾に向かうというのです。船からはそのお詫びというわけで各部屋に1本づつワインが届けられました。さらに船内で使える一人25ドルの金券がプレゼントされて船内のクレジットに振り込まれておりました。しかし、各部屋に1本づつのワインとなると単純計算で2200本です。それだけのワインを積んであるということになりますね、それを各部屋に配る・・・すごいことです。
さて、15時半から1000人収容の「ロンドンシアター」で「L’Amour」というショーが始まりますのでそれを鑑賞しようと思います。
ショーは45分くらいでした。ショーの後はバーで飲み物を飲んでいます。
これはバーの横の窓からみた外の様子です。
こちらは部屋に戻って観た、海の状態。
たいして荒れているようには見えませんね。
食欲がないのでレストランには降りずに、19階の「マーケットプレイス」というビュッフェに行ってみました。1300人が一度に食事ができるビュッフェでは、朝から20時間通しで営業していますので、和食から洋食、スナックに至るまでいつでも好きなものを食べることが出来るのです。
私はスパゲティとハム、それにご飯をもらいましたが、ご飯自体には味が付いていなくて失敗しました。
結局、お腹の調子があまりよくないので早く部屋に帰って寝ることにします。