*第5日目/5月29日:博多に寄港

今日は博多に入ります。
不思議だったのはどういう航路で博多に入るのか、ということです。というのは、宮崎から博多までは東周りと西周りの二つのルートがあるからなのです。これで見ると、明らかに西周りのほうが遠いじゃないですか?でも、問題は門司と下関の間の関門海峡なのです。果たしてベリッシマは関門海峡を通れるのか?ジャーン、正解は「通れない」でした!ベリッシマの高さは65メーター、関門海峡の橋の高さは61メーターで4メーター程足りないのでありました。

ということで、ベリッシマはわざわざ鹿児島県や長崎県、佐賀県を回って福岡校にやってきたのでありました。もちろん私は船がどこを走っているかはわからず、ただ朝になって博多港に入ったことを知っただけなのですけどね。

朝食を取りながら、今日の予定を話し合います。私は仕事で博多に来たことは何度もあるのですが、ニョーボは34年前に熊本の友人を一緒に訪ねた時以来だと思います。市内で見たいところはたいしてなく、ふたりとも行ったことがない「太宰府天満宮」に行こうということになりました。

バスに乗って「天神」に向かいます。取りあえず街の中心までですが、それにしても短時間に数十台のバスを用意したJAPANETの努力に頭が下がりました。

天気はなんとなくひと降りありそうな雲行きです。

15分ほどで天神に到着しました。そこでバスを降りて西鉄の天神駅まで歩きます。そこからは西鉄で、二日市駅で大宰府線に乗り換えるのです。昼前に船を降りて、午後二時に大宰府に到着しました。

大宰府天満宮の参道です。両側には土産物店が並んでいます。大宰府天満宮は突き当りの左側になります。

太宰府天満宮は菅原道真公をお祀りする全国約12,000社の総本宮と称えられ、学問・文化芸術の神として崇敬されています。901年に無実の罪によって大宰府に左遷された道真公は、2年後に大宰府で亡くなりました。埋葬のために亡骸を運んでいた御車の牛が突然伏して動かなくなり、これは道真公の御心によるものであろうとその地を墓所とし、その上に社殿が造られたといわれています。

錦鯉と遊ぶ観光客。

ここが仮社殿のようです。本殿は道真公逝去後1125年にあたる2027年を迎えるにあたって大工事中のために現在3年間だけ使用する仮社殿を設けてあります。設計したのは大阪・関西万博の会場デザインプロデューサーも務める藤本壮介氏の藤本壮介建築設計事務所だそうです。道真公を慕う梅の木が一夜のうちに大宰府まで飛んできた飛梅伝説から着想を得て、鎮守の杜の豊かな自然が御本殿前に飛翔し、仮殿としての佇まいをつくり上げることがコンセプトとなっているらしいです。そう言われると、この屋根の上に草木が生えた奇妙なデザインも納得ができますね。

横から撮ってみました。

境内に大きな楠がありました。天然記念物だそうです。

さて、お昼を食べていないのでお腹がすきました。

大宰府駅に戻ると、駅前に「一蘭」の「大宰府店」がありました。12,3人並んでいましたがほかにこれといった食べ物屋がないので並んでみることにしました。

これは「一蘭」の大宰府天満宮店だけで出している「合格祈願」のラーメンで、どんぶりが五角形になっています。中身は普通のラーメンと変わりません。

帰りは逆のルートで西鉄で天神駅まで戻って来ました。

雨が降ってきたので、観光は以上で切り上げて船に戻ります。

夕食の時間ですが、さっきラーメンを食べたのでお腹が全然すいていません。そこでまたしてもビュッフェに行くことにしました。

隣のテーブルでそばを食べていたので、我々も欲しくなりもらってきました。ずいぶんさっぱりとした曽我でしたね。

蕎麦もいいですが、焼きそばとかラーメンがあるといいと思います。

このあと船は済州島に向かって西進をするのです。明日のお昼ごろに到着の予定だそうです。

次へ続く