9月の飛び石連休中の息子の夏休み休暇を利用して、家族3人で金沢に行くことにしました。
旅行の目的は、私たち夫婦は金沢には2回行っていますが、まだ北陸地方に一度も行ったことがない息子に古都金沢を見て加賀料理食べさせてやろうというものです。
今回も、ネットのホテル予約サイトで金沢市内の近江町市場に使いホテルを予約して、交通手段は自分の車で往復するプランです。金沢の観光ポイントは密集していて市内の中心部にあるので、到着後はホテルの駐車場に車を置いて徒歩やバスで見て回る予定です。
夏休みが1週間あるので、まずは初日の土曜日に富士山のふもとに移動します。
実はこの旅行の直前に車を入れ替えたので、前の車に積んであった工具類や装備を取り外して御殿場に保管してあったので、それらを新しい車に乗せ換える作業があるのです。
その後、新富士インターから新東名に乗って岡崎へ。岡崎からは東海環状自動車道で北上して白川郷を通る東海北陸自動車道に乗り、さらに小矢部戸波ジャンクションで北陸自動車道に乗り換えて金沢市内に入ります。
東京から御殿場が150km、御殿場から金沢が400kmで全行程1100kmの旅行となりました。
その日程は;
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9月21日(水)
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車で8時に山荘を出て新富士=>金沢市内へ移動、ホテル到着後金沢城公園、尾山神社を散策。夕食は金沢駅近くの割烹「喜之屋」で加賀料理を満喫。 |
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9月22日(木)
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市内見物で武家屋敷跡を見て、「グリルオーツカ」で昼食後21世紀美術館へ。兼六園、国立工芸館、東茶屋街を見物して、夕食は居酒屋「はす家」。 |
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9月23日(金)
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近江町市場で朝食、買い物をして11時にホテルをチェックアウト。富山県の「小矢部川SA」で白エビラーメン/そばの昼食後、新東名経由で御殿場へ。19時到着。 |
となりました。3日間の短い旅ではありますが、加賀の野菜と魚介を味わうグルメ三昧の旅となりそうです。
今回の旅行代金ですが、走行距離約1,182kmの交通費が高速代21,410円+平均燃費19.2km/Lだったガソリン代が61.5リッターで9,850円、宿泊費25,900円、そして3日間の食事代が58,852円と入場料などが1,830円で総額117,842円でした。
●第1日目:9月21日(水)
さて今にも降り出しそうな天気の水曜日、朝8時に山荘を出発して富士市内に降りて新東名に乗り、東海北陸自動車道の「ひるがの高原サービスエリア」で昼食をとりました。岐阜県ということで鶏ちゃん(鶏肉をみそだれに付け込んだ料理)が気になったのですが、近くの高山ラーメンも食べてみたいですね。フードコートに入って私と女房は高山ラーメン、息子は鶏ちゃん定食を注文しました。
高山ラーメンも細い麺なのはいいのですが、スープがあまりにもさっぱりしていて、これでもっとこくがあればさらに美味しかったと思いますが、多分一般好みの無難な味にしてあるのでしょう。
食べ終わって表に出ると、谷の向こう側にスキー場が見えました。左が「ダイナランド」、右が「高鷲スノーパーク」だそうです。標高は高いところで1,430メーターだそうですから、1,450メーターのイエティとほぼ同じですね。だからこのサービスエリアも標高は860メーターもあるのですね。山荘よりちょっと低いだけです。道理でこのサービスエリアで車を降りたときに、空気がひんやりとしているなと思ったわけです。
14時16分に金沢森本インターで高速を降りて、ナビに従って一般道を金沢市内に向かいます。ホテルは近江町市場がある百万石通りに面しています。ただホテルの駐車場は6台分しかないので、提携している隣の商業施設「エムザ」の駐車場に車を入れてチェックインしました。
我々の部屋は、5階のトリプルルームです。
左はホテルの全景、右はネットから借用したトリプルルームの写真です。
部屋の窓から見下ろすと目の下は百万石通りで、真向かいには風格のある三井住友銀行の金沢支店があります。1900年の初めに造られた、金沢の銀行としては一番古い建物だそうです。
荷物を置いてお茶を飲んだら一番近い金沢城公園を散歩してみましょう。これまで兼六園は2回来ていますが、金沢城は一度も見たことがないのです。夕食までの間、近いところを回っていったんホテルに戻り、シャワーを浴びてから予約してあるお店で夕食を食べる予定です。
ホテルを出て手近な信号を渡って東にむかいます。すると、尾崎神社の一角に「加賀藩御算用場跡地」という案内看板がありました。加賀藩の財政をつかさどる役所があったところなのですね。そこに現在建っているビルを見ると、「税理士法人 宮田会計」とあるではありませんか。御算用場で働いていた役人の末裔が経営しているのだったら面白いですね。(調べてみたら、その会社の創業は1962年で、1971年に今の場所に移ってきたそうです。)
宮田会計の先を曲がると、金沢城公園の黒門口です。左手に見える堀は「大手堀」です。ここから公園内に入ってみます。
ホテルから一番近い金沢城公園の入口です。目の前の堀は大手堀です。 |
現在地は赤丸のところです。金沢城と兼六園は隣り合っているのですね。 |
本丸は基礎が一部残っているだけなので、二の丸を見てみようと思います。 |
ここが新丸の跡地です。広場になっていますがそれにしても広いですねえ。 |
右側の奥には河北門や五十軒長屋の菱櫓(ひしやぐら)が見えます。 |
石垣がありました。これはまた見事に六角形に削られた石です。 |
この案内板によると城内には10か所も見るべき石垣があるのですね。 |
長屋といっても住居ではなく食器倉庫であったものが、江戸時代後期には武器弾薬を納めたそうです。 |
二の丸にやってきました。実質な政務の中心はここだったそうですが、明治14年の火災で消失しています。 |
平成13年に復元された五十軒長屋と菱櫓。もとは二の丸を守る城壁として作られたそうです。 |
東側(石川門)から見た五十軒長屋と菱櫓(右端)に橋爪門櫓(左端)。(ネット画像借用) |
今回、黒門口から入って新丸公園を横切って二の丸までやってきました。
二の丸広場に復元された五十軒長屋は二の丸を守る城壁として作られたそうで、反対側から見ると石垣の上にそそり立つ姿はまさに城壁です。
さらに端には「菱櫓」が建てられています。名前の由来は、敵の襲来に備えて北にある大手門と西の裏口の2方向を正面に見て監視できるような物見やぐらとして作ったので、武器倉庫である五十軒長屋に対して外壁が斜め=ひし形になったことから来ています。右の航空写真で見ると、五十軒長屋に対して櫓部分だけが斜めになっているのがわかります。
ここで金沢城の歴史をおさらいしましょう。金沢城は、加賀藩主前田利家が1583(天正11)年に城主として金沢城に入り、それから本格的な城づくりが始められました。しかし、当時は城内に重臣たちの屋敷があったため、城としては狭い状態だったそうです。1602(慶長7)年に落雷により天守が焼失した後、天守は再建されることはなくて、代わりに本丸には三階櫓がそして二の丸には大きな御殿が建てられました。
1631(寛永8)年の火災の後、二の丸を拡大したり辰巳用水が完成するなど城が強大化するにつれて、武家屋敷も城外へと移転されて新しい内堀を掘ったり、盛り土をするなど城としての体裁が整っていきました。しかしながら1759(宝暦9)年の火災で、城のほとんどを焼失してしまいます。
その後、城は再建されますが、実用性を重視して二の丸を中心とした城作りが行われたものの、本丸の櫓は再建されませんでした。二の丸御殿は1808(文化5)年にも全焼しています。
明治になって城全体が陸軍省の管轄となりましたが、明治14年にまたも二の丸が全焼し、昭和になると金沢大学が設立されてこの敷地を使用します。
平成になって、石川県が国から金沢城を取得して金沢城公園として整備して菱櫓、河北門、玉泉院丸庭園、鼠多門などを次々と復元し現在に至っています。
さらに二の丸御殿の復元も計画されているとのことで、その完成が楽しみです。
二の丸御殿全体は約3200坪ありましたが、儀礼や政務の場所であった「表向」と呼ばれる部分はそのうち約1800坪となっており、御殿ならではの装飾が見られない台所や能舞台の楽屋などを除く“主要部分”約1000坪を復元するということです。つまり、この二の丸御殿の平面図のうち1/3が令和6年以降3期にわたる工事によって復元されるということになります。
下図は二の丸復元計画に関する石川県の資料の一部です。
ちょうど我々が二の丸を見学した時には、御殿を再建するにあたって敷地内の遺跡や埋蔵文化物の確認をする発掘調査が五十軒長屋の真ん前で行われていました。現場は白い壁で囲まれていましたが、ところどころに透明な場所があって、一般の人が中の様子を見ることができます。
さて、復元された「五十軒長屋」は、菱櫓も含めて一般公開されており、内部の見学が可能です。
1998年に復元工事が始まり、2001年に完成しています。柱や梁に釘を使用せず、伝統的な「木組み」と呼ばれるはめ込み式で組み立てられ、文化六年再建時の姿に可能な限り忠実に復元されています。 とはいえ現代の建物なので、建築基準法にに従って鉄筋コンクリート造の基礎や 一部の柱を太くしたり、床に耐火ボードを挟み込んだりスプリンクラーを設置したりなどの変更は行われています。また、バリアフリー対策として入口スロープ、階段昇降機、エレベーターを設置 しています。 建築にあたっては、「自分たちの城は自分たちの手で」と言う方針のもと県内の大工、左官、板金、建具等の職人による「石川の伝統的建造技術を伝える会」が結成され、56,000人に 及ぶ職人達が施工にあたったとのことです。
さて、入り口で入場料を払って中に入りましょう。ありがたいことに65歳以上は無料でした。
右に見える門が二の丸の入り口となる橋爪門です。 |
長屋の中は2階建てで全て木造です。 |
最初に金沢城の歴史を学びます。金沢城は最初はお寺だったのですね。 |
城内の発掘調査で発見された出土品も多く展示されています。 |
これは屋根を支える「梁」です。当時と同じ工法で作られているそうです。 |
なんとも見事な木の組み合わせです。木材も県内産のヒバや杉を使用しています。 |
なるほど、屋根には鉛が貼られていたのですね。 |
これが「木組み」のやり方なのですね。確かに釘は1本も使っていません。 |
壁の構造です。芯は竹組みでその上に漆喰を塗ってあります。 |
菱櫓にやってきました。見た目には普通の四角いやぐらに見えます。 |
左が五十軒長屋、右が菱櫓です。つなぎ目を見ると何かおかしく感じます。 |
床を見ると柱と床板が直角になっていません。 |
櫓の隅の柱です。これも直角ではありません。 |
そして柱と梁を斜めに組み合わせる「木組み」。 |
見事としか言いようがない「木組み」ですね。 |
石落とし。石垣を登ってくる敵に石や熱湯、油などを落として撃退します。 |
五十軒長屋の2階部分です。 |
五十軒長屋の南の端、橋爪門櫓です。ここを通って二の丸に向かいます。 |
さて、4時半になりました。五十軒長屋の閉館の時間です。まだ細かく見たいところもありましたが、時間なので退館しましょう。
建物を出た後は西に向かいます。公園を出てすぐ隣にある尾山神社を見たいと思います。
二の丸公園を西に進むと、崖になっていて下に降りる道がありました。降りた先は美しく整備された庭園になっていて、「玉泉院丸庭園」と呼ばれています。もともと二代目藩主前田利長の正室である玉泉院の屋敷があったことからその名がついたこの庭園は、饗応の場として活用された「兼六園」にたいして、代々の藩主の内庭としての性格が強い庭だったと考えられているそうです。
のちに金沢城が陸軍の管轄になるとオランダ人医師の邸宅が建てられ、あるいは埋め立てられて軍の馬場として使われたり、さらには昭和期には県のスポーツセンターとして使われていたりして、長い間庭園としては使われていなかったのです。
しかし、平成20年から5年間をかけて実施した発掘調査がきっかけとなり、昔の絵図、文献、その他に基づいて改めて設計を行い、平成25年5月に復元整備工事がスタートしました。整備にあたっては、遺構には手を付けずそっくりそのまま保存しておくために全体的に盛土を行い、その上に新たに庭園を造成しています。また、外周部の石垣の修復や入口部の整備など玉泉院丸一帯の整備も合わせて行なわれました。こうして平成27年3月に、歴代藩主が好んだといわれる玉泉院丸庭園が現代に蘇ったのです。(下記図面はネット資料より)
ただ復元されたのは当時の庭園そのものではなく、昔の庭園はそっくり埋め立てられてしまっていますから、その上に(昔の庭園の約2メーター上に)防水シートを敷いて現在の池が作られているのです。その様子を断面図にするとこうなります。(ネット資料より)
庭園の風景は、発掘調査や古絵図等をもとにして紅葉橋から南側の半島や、池、島などが忠実に再現されました。池の中にある大小3つの中島は、見る場所により遠近感が変化して、この庭園の見どころのひとつとなっているそうです。なお、池の水源は城内の「いもり堀」(さらに源は辰巳用水)から揚水しているとのことです。
「色紙短冊積石垣」と呼ばれる石垣の上から水が流れ落ちるように作られていました。 |
これが上から見た玉泉院丸庭園の全景です。 |
先ほどの石垣が見えます。 |
木の間に見える白壁は三十軒長屋です。 |
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玉泉院丸庭園に続いて140年ぶりに復元されたのが、1884年に火災で消失した鼠多門です。
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門の向こう側はかつては堀があったので、橋がかかっています。 |
鼠多門の外側です。いまは橋の下は堀ではなく道路になっています。 |
橋を渡って降りたところはもう尾山神社の境内です。
尾山神社は、良く知られているように初代藩主の前田利家公と正室の「おまつの方」を祀った神社です。
1599(慶長4)年3月に、利家公が逝去した後、二代藩主利長は偉大なる父利家公を神として祀ろうと考えました。しかし、当時前田家は外様大名の立場なので徳川幕府の許可なくして、勝手に新しい神社を創立することはできません。そこで利長は、自身が越中国の守山城にいたときに守護神としていた物部八幡宮ならびに榊葉神明宮を遷座する名目で卯辰山麓に社殿を建立し、そこに利家公の神霊を合祀しました。これが、卯辰八幡宮です。
明治時代になって石川県が新たに藩祖を祀る神社を建てることを計画すると、旧藩士達が集まって前田土佐守家の前田直信を代表としてその計画を推進し、金沢城の金谷出丸にあった前田家の別邸の金谷御殿の跡地である現在の場所に社殿を新築しました。1873(明治6)年に政府より神社創立許可が出て、「尾山神社」として建立されると卯辰八幡宮から尾山神社に神霊遷座をして、名実ともに利家公を神とする神社が生まれました。さらに、平成10年には正室であるお松の方も合祀されて現在に至っています。
尾山神社と言えば、全国的にも珍しい和漢洋の3つの建築様式が用いられた「神門」が金沢の代表的な観光スポットとして有名です。1875年に建造されて国の重要文化財にも指定されており、特に最上階にはめ込まれたギヤマン=ステンドガラスは美しく、灯台として使用されたとのことです。また、神門の屋根には日本現存最古の避雷針が設置されています。
尾山神社の池です。かつては兼六園から水をひいていましたが現在は地下水とのこと。 |
金色のカエルのオブジェがありました。ハスとカエルで夏を表しているそうです。 |
前田利家公の銅像。背中の風船のようなものは「母衣(ほろ)」という矢や投石から背中を守るための武具。 |
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尾山神社の拝殿です。天井や欄間の装飾は旧金谷御殿から移築したもの。 |
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「神門」と呼ばれる。神社であるにもかかわらず、ステンドガラスを使用しているのも珍しい。 |
そろそろ陽も傾いてきましたので、いったんホテルに戻ります。
シャワーを浴びてすっきりしたところで、今夜の夕食の予約を入れてあるので金沢駅の近くまで歩いて向かいます。そのお店は「喜之屋」といいます。実は2016年に北陸旅行をしたときに金沢に一泊したのですが、その際に金沢在住のSNS仲間に金沢駅付近の美味しい店を紹介してもらったのが「喜之屋」さんでした。居酒屋よりは値の張るお店ですが、その味も応対も非常に満足のいくものでしたので、今回は息子に加賀の味と酒を楽しませたいと思って再度予約を入れた次第です。
ホテルを出てすぐ、素晴らしい夕焼けを見ることができました。
夕焼けに向かって歩くこと約20分、お店に到着しました。
今日は満席ということなので、時間は早めの18時からの予約にしましたが、すでににぎやかな話し声が後ろの座敷のほうから聞こえてきます。料理はコースではなく、メニューを見てアラカルトで頼みました。電話で予約した際に、「席が混んでいるので料理を出すのに時間がかかるかもしれません」と聞いていましたのである程度まとめて注文したところ、意外と早く次々と料理が出てきて食べるのが追いつかないくらいでした。飲み物は最初にサービスの中村屋の食前酒が出てきましたのに続き、息子に選択を任せて「加賀鳶」や「常きげん」、「五凛」などの銘酒をいただきました。
「喜之屋さんのホームページからお店の外観写真をお借りしました。 |
我々の席は前回と同じくカウンターでした。厨房は2階にもあるようです。 |
まず最初は金沢で「金八」と呼ばれる魚、関東の呼び名では「チカメキントキ」です。 |
きれいなピンク色です。金箔が似合います。 |
加賀野菜のサラダです。
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これは東京では珍しい、バイガイの刺身です。食感は蝦夷ボラに似ています。 |
シロイカの刺身です。甘い! |
ノドグロの刺身です。 |
ノドグロの脂の乗りがたまりませんねえ。 |
白エビの天ぷらです。 |
加賀レンコンの天ぷらです。 |
バイガイの煮つけです。 |
マスの塩焼きです。 |
水ナスの揚げ出汁です。 |
金時草の酢の物です。
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笹ガレイの塩焼きです。 |
いやあ、素晴らしかった・・・初めての食材を含めてたくさんの料理をいただきましたが、どれも美味しかったですね。さすがです。やはりこの店を選んで良かったと思いました。心地よくぶらぶらと歩いてホテルに帰り、すぐに寝てしまいました。
●第2日目:9月22日(木)
今にも雨が降り出しそうな、どんよりとした朝です。
今日は武家屋敷跡から21世紀美術館、兼六園、日本工芸館を徒歩で回り、そのあとバスで東茶屋街に移動して見て回り、ホテルに戻るコースです。夕食は、当初金沢おでんを食べに行く予定だったのですが、歩き疲れたのでホテルの近くの居酒屋に変更しました。
さて、ホテルを出て、百万石通りを南下して武家屋敷跡に向かう途中尾山神社の前を通ります。前日に見てはいるのですが、見落としたところがあったので再度立ち寄りました。
見落としというのは、尾山神社の池の水を兼六園から引いていた江戸時代の導水管のことです。実は2003年に能登に旅行した帰りに金沢市内を観光しているのですが、そのときに尾山神社を見て導水管の写真を撮っているのです。(2003年能登輪島、金沢の旅)
そのことを思い出したので、改めて見てみたいと思って武家屋敷への通り道なので寄ってみた次第です。そうしたら前日に気が付かなかった前田利家公が使用した兜や平成12年に設置されたお松の方の石像も観ることができました。
霊力を持つと考えられていた鯰の尾を模った前田利家公の兜です。 |
これです、19年ぶりのご対面。江戸時代にここまで水を引いた導水管です。 |
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こちらは平成10年にこの神社に合祀された「お松の方」の石像です。 |
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というわけで、見るべき目的を果たしたので百万石通りをさらに下ります。北国新聞社の高いビルを目印に右へ入り、小川を越えると街の雰囲気が変わりました。最初に見えたのは「野村家」です。前田利家が金沢城に入場した時の直参藩士であり、俸禄1200石であった豪華な屋敷跡で武家屋敷としては唯一一般公開されていて一部はカフェや和菓子店となっています。
ここでは中は見ずにまず武家屋敷休憩所に向かいます。ここは観光案内所として地図などの各種資料がおいてあるほか、ボランティアガイド「まいどさん」が常駐しており、長町界隈を親切に案内してくれます。しかもボランティアなので無料です。実は2003年に金澤に来たときにも「まいどさん」に案内してもらっています。今回も予約なしでお願いしてみたところ、快く案内をしていただくことができました。休憩所を出るときに雨が降ってきたので無料の傘も貸していただきましたが、この傘は金沢駅など市内21か所に設けられた置き場所に返却すればいいそうで、「金沢置き傘プロジェクト」という観光客の利便を考えたサービスとなっています。
案内の内容は、長町全体の説明があって武家屋敷の作り、町内に移築保存されている足軽の屋敷内部の見学と、我々の希望で市内に古くからあるお店を紹介した「金沢老舗館」(入館料100円)も案内していただきました。
代々前田家の奉行職を歴任してきた加賀藩士、野村伝兵衛信貞の屋敷跡です。 |
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この川は「大野庄用水」で、金沢市で最も古い用水路です。 |
約400年前に前田利家の家臣富永佐太郎が開削した用水だそうです。 |
足軽屋敷を見せてもらいました。 |
木造平屋作りです。 |
座敷と納戸です。 |
ここが台所ですね。 |
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この辺は位が高い藩士が住んでいたそうです。 |
「老舗館」の伝統工芸、加賀花てまりの展示です。 |
江戸時代にひろまった文化だそうです。 |
金沢のお菓子屋さんが制作した「花みこし」。花は全てお菓子でできています。 |
案内をしてくださった、「まいどさん」にお礼をして、傘はそのまま武家屋敷跡を香林坊のほうにむかいます。時間は11時、そろそろお腹がすいてきましたね。
お昼は何がいいか相談をしながら歩いていたら、息子が携帯で検索して「ハントンライスの店がすぐそこにある」と言い出しました。そういえば金沢名物の「ハントンライス」も金沢カレー、8番らーめんと並んでランチで食べてみたい料理のリストに上がっていましたね。角を曲がるとすぐに「グリルオーツカ」の看板が見えました。お店に入ってみると「はい、3名様こちらへどうぞ」と奥のテーブルに案内されました。メニューを見て、ハントンライスには大中小とありますが量が多めと書いてありますので、「大」と言いかけた息子が「中」に変更して、女房は最初から「小」を選択しました。そして私は同じもの三つでは芸がないのでスパゲティにしましょう、「ナポリ風スパゲティ」をお願いしました。注文を取りに来たおばさんが「中と小、それにナポリタンいっちょう〜♪」と厨房に告げる声が聴こえます。
最初に来たのは私が頼んだスパゲティでした。ん?ナポリタンなのに赤くない・・・具はたくさん入っています。エビ、イカ、ホタテ、アサリにタマネギとマッシュルーム。ですが、ケチャップらしき色はなくてデミグラスソースかトマトソースに生クリームを入れたような薄い茶色。しかもスパゲティに絡めてジャァ〜っと炒めてあるのではなくて、上からかけてあります。あらためてメニューを見て気が付きました。「スパゲティナポリタン」ではなくて「ナポリ風スパゲティ」なのか。ケチャップ色の喫茶店のスパゲティを期待したのは私の勝手でありました。まさか、これが本場のナポリのスパゲティ?まさかね。そもそもナポリタンは日本でそれも横浜グランドホテルの料理長が作り出したパスタなのでありました。だから「ナポリ風」は「ナポリタン」ではなく、ここオーツカさんのオリジナルであっていいわけです。
さて、「ハントンライス」が到着しました。「ハントン」の「ハン」は「ハンガリー」の「ハン」で、「トン」はフランス語の「Thon (トン)」のことだそうです。これは、「当初オムレツにカジキマグロのフライを乗せていたから」、と言われていますが実は「カジキマグロ」という魚はいません。「カジキ」は上アゴの先端が長く伸びて鋭く尖っていて、マカジキ科あるいはメカジキ科に属しますが、マグロは上アゴが伸びておらず、すべてサバ科なのです。それはともかく、「ハントンライス」は金沢の名物として数軒の洋食屋さんで提供されていて、この「オーツカ」さんのハントンライスも人気があるのです。
さあ、そのハントンライスですがオムライスと魚介のフライが合体しています。そしてケチャップとタルタルソースがかかっています。ボリュームもありますね、「大」を注文しなくて正解でした。
ハントンライスで有名な「グリル オーツカ」さんにやってきました。 |
え?これがナポリタン?いいえ、「ナポリ風スパゲティ」なのであります。 |
さあ、来ました、これがハントンライスの「小」です。 |
ご飯は、何も具が入っていないプレーンのケチャップライスです。 |
外に出ると、お店の周りには20人くらいの行列ができていました。 |
ああ〜美味しかった、お腹いっぱいです。ハントンライスもそうでしたが、スパゲティもボリュームがありましたね。支払いをして店の外に出てみると、おお、雨は上がっていますがずらりと20人くらいの人が並んで待っているではありませんか。我々が入ったのは11時20分ごろですぐに座れましたが、その時点で店内はほぼ満席だったと思います。そして食べ終わって出てきたのが30分後の11時50分です。その間に観光客と思しきスーツケースを引いた人を含めてこれだけの行列が出来ていたのです。いやあ、我々は絶好のタイミングで入店したものです。
思いお腹をさすりながら坂を上って百万石通りに出ました。ここが「香林坊」の交差点です。
交差点を渡っておしゃれなお店の前をさらに進むと右手に赤茶色の大きな建物が見えてきました。これが金沢市役所ですね。ということは、目指す21世紀美術館はその隣になります。市役所の敷地を横切って美術館の裏口から中に入りました。入場券販売所は正面入り口を入ったところなので、丸い建物の外周をぐるっと半周してようやくロビーに到着しました。天気が悪いせいか意外と混んでいませんね。入場券を買うカウンターには3人が順番待ちで並んでいるだけです。券を購入するときに「今日は展示物入れ替えのため地下と1階の展示室の一部が閉鎖されている」と説明がありました。あれ、金沢には2003年の後2016年にも来ていて、そのときにここも見物しているのですが、あの時も入れ替え作業中で半分閉鎖でしたね。しかもあの時も天候は雨で同じ・・・そうか、金沢は日本でも有数の降水日数が多い街なのでありました。なにしろ金沢には、「弁当忘れても傘忘れるな」という格言があるくらいなのです。特に冬の金沢の降雨、降雪の確率は75%を超えるらしいです。
館内が閑散としているのはやはり雨のせいですかね。ともかく入場券を買って中に入ってみます。なるほど解放されている1階の展示室は1/3くらいのイメージですね。ガラスの器を何点か見たら、もう展示室は見終わってしまいました。じゃあ、あそこ、「レアンドロのスイミングプール」、行きましょう。幸い雨も止んでいますから透き通った水の底が・・・いや、底はきれいに見えるのですが、見物人がいません。ああ、そうか、地下が閉鎖されているから誰も地下すなわちプールの水面の下に入れないわけか、なるほど。前回は地下には入れましたけれど、雨粒で水面が波打って上が見えなかったのです。結局2回来て2回ともプールの作品の真価を味わうことはできませんでした。
左端の白いカウンターが入場券発売所です。客が少ないですね。 |
「レアンドロのスイミングプール」です。幸い雨が切れて底が見えるのですが・・・誰もいない。 |
地下が閉鎖されていなければ、こういう風景が見えたはずなのですがねえ・・・(ネット画像より) |
「カラーアクティビティハウス」は、色の三原色(シアン、マゼンタ、イエロー)の壁が
渦巻き状に立っていて、場所によって外の世界が様々に色づいて見える作品。 |
フェルナンドロメロ作の「ラッピング」と名付けられた作品です。 |
21世紀美術館はがっかりでした。それにしても展示物の入れ替えってそんなに頻繁にやっているものでしょうかね?入場料金は、ちゃんと入れない展示室の分だけ安くなっているのか?疑問です。
さて、晴れているうちに兼六園を見るとしましょう。地図を見ていたら、21世紀美術館の道路を挟んだ反対側に「真弓坂口」という入口があることに気が付きました。兼六園には過去2回来ていますが、今までは反対側からしか入ったことがないので知りませんでした。これは近くていいですね。しかも、65歳以上は入園無料なのです。金沢って素晴らしいところですね。
入り口を入って長い真弓坂を登ります。ここで気が付いたのですが、兼六園は市街地よりも小高いところなのに池があって、さらに金沢城や尾山神社に水を供給していました。兼六園は高いところにあるのでほかに供給するのはいいとして、では兼六園の水はどこから来ているのでしょうか?地下から汲み上げているのでしょうか?
その答えが、辰巳用水です。
辰巳用水は、1632年に加賀藩の第3代藩主であった前田利常(まえだとしつね)が、小松市の町人である板屋兵四郎に命じて作らせたものです。金沢市内を流れる犀川の上流で川の水を取り込み、長さ11kmの地下の水路をとおって兼六園に流れ込み、さらに金沢城や金沢市内に流れこむものです。地図で見るとこうなります。「辰巳」という名前は、取水口が金沢城から見て辰巳の方角=東南に当たるからと言われています。
では、なぜ11kmもの先から水を引いたのか?それはこの断面図を見るとよくわかります。
取水口の標高は100メーターになっています。兼六園の標高は54メーターなので、標高50メーターの金沢城にも十分水を供給できたのですね。また、兼六園の霞が池は普段は貯水池の役割をしており、敵が攻めてきたときには一気に城の堀を水で満たすことができるように設けられたといわれています。表向き幕府に対しては「火事が多いので防火用水が必要」と説明していたそうですが、実はしっかりと防御態勢も整えていたのですね。兼六園と金沢城の位置関係はこうなっています。
兼六園 と二の丸の間にはさらに標高が低い白鳥堀や内堀があって、霞が池に貯められた水は低地の百間堀の導水石管を使用して再び高い二の丸へ上げる技術が使われていることがわかります。これは「逆サイホンの原理」と呼ばれており、高低差をうまく利用したこの原理を用いたのは辰巳用水が日本最初といわれています。わずか1年で辰巳用水を完成させた技術レベルの高さ、なかでも導水石管の工法には驚くばかりです。しかし、惜しいことに板屋兵四郎は辰巳用水の完成後、用水の秘密を守るために毒殺されたという説もあります。
庭園と池、何の変哲もない風雅な組み合わせにはわが身を守るしたたかな計算があったのですね。石川県人に消極的でおっとりとした人が多いのは、加賀藩を守るため控えめで事を荒立てずに済ました歴史が背景にあると聞きましたが、まさに兼六園がそうでありました。ではそんな隠された秘密を持った兼六園を見ていきましょう。
兼六園に入ります。ここは初めて通る入口です。 |
真弓坂を登った正面が瓢池(ひさごいけ)です。 |
海石塔は高さ4.1mで虫喰いのように穴が空いた笠石が六重の塔になっています。 |
霞ヶ池から流れ出て、瓢池に注ぎ込む翠滝(みどりたき)。高さ6.6m、幅1.6mで水量が豊富。 |
「三芳庵」。明治8年創業の老舗料亭で、現在も営業中です。 |
瓢池(ひさごいけ)の東岸にある夕顔亭。1774(安永3)年に建てられました。 |
霞が池からの水が流れ落ちてきます。 |
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奥に見える建物は「内橋亭」。蓮池馬場の馬見所にあったものが1874(明治7)年に移築されました。 |
徽軫灯籠(ことじとうろう)は、二股の足が琴の糸を支える琴柱(ことじ)に似ているからだそうです。
この灯籠は水面を照らすための雪見灯籠が変化したもので、高さは2.67mもあります。 |
兼六園の眺望台。正面には卯辰山、手前には市街地がつづきます。
その向こうには加賀平野、さらに河北潟や内灘砂丘、日本海、能登半島なども眺められます。 |
唐崎松(からさきのまつ)。13代藩主斉泰(なりやす)が琵琶湖の唐崎松の種子を取り寄せた黒松。 |
大きな銅像が建っています。 |
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園内を流れる曲水。右奥が水源の辰巳用水で、霞が池に注いでいます。 |
それにしても400年近く昔に手掘りで作られた用水路が現在でも1日1400トンもの水を供給しているというのは素晴らしいことでした。武家屋敷跡があった長町でも大野庄用水が流れていましたが、あれも元は辰巳用水から分流したものでした。
さて見ている途中で雨が降ってきました。
庭園の見物はこの辺にして屋内の展示を見ようと思います。兼六園の南西の出口=随身坂口から出てみたら、「金澤神社」がありました。加賀藩11代藩主前田治脩(はるなが)が1794(寛政6)年に、兼六園の現在の梅林の地に藩校明倫堂を建て、その鎮守社として金城霊澤のほとりに、学問の神であり前田家の先祖でもある菅原道真公を祀ったのが始まりです。
放生池です。 |
屋根の下には水がわいていて、天井には竜の絵があります。 |
ふうん、なるほど。 |
道路を渡って国立工芸館にやってきました。
なんだか色がちぐはぐだなと思ったら、もとからここにあった建物ではなく、明治後期に建てられた木造の旧陸軍施設「旧陸軍第九師団司令部庁舎」(元は司令部執務室)と「旧陸軍金沢偕行社」(元は将校の社交場)を移築ししたものでした。日本の優れた工芸品を展示しているのでしょうが、その前に21世紀美術館で見たような陶芸作品とかぶっているのが、よくわかりません。建物が小さいせいもあって展示物も少なく、15分くらいでざっと見て出てきてしまいました。ここも65歳以上は無料でした。工芸館の前の通りは百万石通りです。ぶらぶらと歩いて21世紀美術館の前の交差点には、金沢で一番古い神社だという「石浦神社」がありました。
右が事務管理棟で、左が展示棟になっています。 |
中は撮影禁止のところばかり。焼き物のコーナーだけ撮影できました。 |
紀元700年に建てられた、金澤で一番古い石浦神社です。おみくじの数がすごい。 |
21世紀美術館の前には「城下まち金沢周遊バス」の停留所がありました。
これは金沢駅東口を起点に、金沢市内の主要な観光地をめぐる循環バスで、「右回りルート」「左回りルート」があってそれぞれ約15分間隔で運行しています。ルートによって車体の色が違い、右回りが赤、左回りが緑色となっています。我々は21世紀美術館から東茶屋街に行きたいので、左回りの緑色の循環バスに乗ります。茶屋街の最寄りの停留所は「橋場町」でわずか二つ目、料金は均一の200円で後払いです。
金沢市内を流れるもう一本の川、「浅野川」です。 |
これが東の茶屋街です。 |
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金箔を売る店のデモンストレーション施設で「黄金の茶室」です。 |
歩道の中央の丸いものは融雪用の水が出る穴です。 |
この歩道は右下がりなので左に付いています。 |
帰りは「橋場町」からホテルに近い「近江町市場」まで循環バスを使いますが、右回りだと9番目の停留所ですが左回りだと5つ目です。ただ右回りはいったん終点の金沢駅前に戻りますが、別のバスに乗り換える必要はなくそのまま同じ料金で次のラウンドに乗ることができるそうなので、右回りに乗ることにしました。金沢駅前では運転手が交代しましたが、我々はそのまま座って待って金沢駅の次の停留所で下車して200円を払いました。今回は2回乗るだけなので現金で払いましたが、何度も乗る場合は「一日フリー乗車券」(¥600)を利用すると良いでしょう。
ホテルに戻って、さて今夜のお店はどこにしよう?
予定では金沢おでんを食べに行くことにしていましたが、昼間散々歩いたので遠くの店には行きたくないし、おでんをフーフーする気分でもなくなりました。そこでホテルの近くの居酒屋を検索すると、10分くらいのところに「はす家」さんがあります。電話してみると、8時までならテーブルが一つ空いているというので、すぐに出かけました。お店も店員さんも明るくて感じがいい店です。
ハタハタのイシル焼きです。イシルは能登で作られているイカやイワシの魚醤で、独特の風味があります。 |
フグのから揚げです。 |
ホタテとアスパラの炒め物です。
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金時草のサラダです。上にはベーコンが乗っています。 |
定番の白エビの天ぷら。 |
バイガイも忘れずにもらいました。 |
五郎島金時芋と鴨の料理です。 |
8時までまだ十分時間がありましたが、満足したので店を出てホテルに戻りました。
9月23日(金)
今日も雨です。金沢は本当に雨が多いいですね。
朝食は近江町市場で食べる予定です。荷物をまとめてチェックアウトの準備をして、ホテルを出ました。通りを渡って近江町市場に入りました。ビルの2階に食堂街があるのですが、どこも11時半にならないと開店しません。豊洲のように早朝買い出しに来るプロ向けの食堂はないみたいですね。この時間に開いているのはどちらかというと観光客向けの回転寿司屋だけのようです。
ということで、我々は「近江町市場寿し」の本店に入りました。
正面のビルの下が近江町市場です。 |
これは息子が注文した「ノドグロ炙り重」。2490円だそうです。 |
お任せ握りは1980円です。 |
これはお任せ握りの8貫で1480円です。 |
ハタハタの握りがありましたのでもらってみました。370円でした。 |
さて、では買い物をしましょう。休日の9時を過ぎて市場には観光客らしき姿が急に増えてきました。人気があって行列ができているのは、カキとか刺身の小皿を買ってその場で食べるお店ですね。観光客だと鮮魚を買っても持って帰れませんから、加工品とか干物になってしまいます。
我々は、中くらいのサイズのノドグロを塩焼き用に、それから蒸しアワビ、刺身用のバイガイ、出汁巻き卵、すり身揚げ、金時草、それに日本酒を2本購入しました。買った品物はそのまま駐車場に行って、車のラゲッジルームのクーラーボックスに保管してホテルに戻りました。
チェックアウトを済ませて駐車券をもらい、車を出してきて荷物を積んで出発です。
おっと、街を出る前に長町の休憩所で借りた傘を返しておきましょう。調べたらホテルの近くのショッピングセンターに置き場がありましたので、そこに返しておきました。ありがとうございました。
北陸道に乗ってしばらく走り、小矢部川サービスエリアでトイレ休憩です。ぶらぶらとレストランのメニューを見ると、富山県だけに名前が「白エビ亭」となっていて富山駅前の「白エビ亭」の出店のようですね。メニューには「白エビラーメン」なんかがあって美味しそうに見えます。お昼にはちょっと早いのですが、そこで食べてしまうことにして食券を買いました。私はさっき見た「白エビラーメン」、女房は「白エビそば」そして息子は「白エビ天丼」を選択しました。
白エビラーメンです。1080円。 |
これは白エビ天ぷらそば。これも1080円だそうです。 |
白エビ天丼は1280円です。 |
3人で白エビを満喫して、帰りは来た時と同じ東海北陸自動車道から新東名を経て新富士で降りてスーパーで買い物をして戻ってきました。あ〜疲れました。
以上で2泊3日の、加賀百万石グルメ旅のご紹介を終わります。
さて、次回はどんな旅になるのでしょうか?どうぞ、ご期待ください。
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