まだ桜が咲くには早いのですが、会津若松と山都町に行くことにしました。 寒ざらしそばとは、秋に収穫したソバの実を1月初旬の厳寒期に冷たい川水に10日間ほど漬けておき、これを引き上げたら今度は寒風に20日ほどさらしてから乾燥させて製粉、製麺するという大変手間のかかったそばで、江戸時代には将軍家に献上されていたといいます。 そばを冷水に漬けて寒風に晒すことでアクや渋みが抜けて甘みと風味が増し、舌触りが良くて弾けるような食感の贅沢なそばとなります。 その寒ざらしばを食べることができるお祭りが、今年は3月13日から4月25日まで開催されるというのです。昨年は新型コロナウィルスのために中止となり、その前は山都町内の体育館で開催されていたのですが、今年は人混みを避けるために町内のそば屋さん5軒に分散して開催されることになりました。山都町を訪問するのは水曜日なので、チラシによると蕎邑さんと茅乃庵さんはお休み、やまびこさんは入店お断りですから、萬長さんと伝承館でご馳走になろうと思います。 今回はツアーではなく、ネットのホテル予約サイトで会津若松市にある東山温泉の旅館を予約して自分の車で山都町を往復するプランです。当初、一日目に山都町を訪問して、二日目に会津若松市で桐屋権現亭さんのそばを食べて帰ってくる予定でしたが、桐屋さんの休みが水曜日と判明したので日程を逆にしました。
となりました。たった2日間ですが、2回目の「桐屋権現亭」さんを含めてそば三昧の旅になりそうです。今回の旅行代金は、走行距離約650kmの交通費が高速代14,700円+ガソリン代4,800円、宿泊費25,650円そしてそば屋3軒の食事代が10,560円で総額55,710円でした。 ●第1日目:3月16日(火) 前回来て、中心街は一方通行が多いことはわかっているので手前を左に入って桐屋さんの駐車場に向かいます。お昼時なのに駐車場は空いていますね。角を曲がってお店に向かうと、おお、まだ街の一部には雪が残っていますね。
お会計のときの立ち話で、女将さんと女房が同じ誕生日であることがわかりました。奇遇ですね〜お土産に小袋に入ったソバの種をいただきました。東京に帰ったらプランターに撒いてみますね。 さて、「桐屋権現亭」さんを出て右に1ブロック歩くと、すぐ左に由緒ありそうな黒っぽい建物が見えます。ここは1694年、つまり元禄4年の江戸時代に創業されたという「植木屋」という酒屋さんで、初代はお城に仕える庭師だったのでこの屋号にしたらしいです。ご主人は植木さんではなく白井さんと言い、代々「興平」を名乗っているそうで今は18代目になるのだそうです。 ジャズが流れる店内に入ると、土間の両側に冷蔵ケースと酒棚がずらりと並んでいます。(店内の写真はネットからお借りしました。) そして奥の方が事務所になっていて、左側の壁にはたくさんのアナログレコードが並んでいます。ざっと2000枚くらいはあるでしょうか。そして真空管アンプ(2A3のプッシュプルかな?)やレコードプレーヤーも置いてあり、さらに手前の売り場との境にはJBLの4344シリーズと思しきモニタースピーカーもさりげなく置いてありました。むうう、ここの御主人はかなりのオーディオマニアとお見受けしましたよ。この時はあいにくご主人が不在で、オーディオ談義が出来なかったのが残念でした。(ご主人とオーディオの紹介記事はこちら) 実は、この酒屋さんにやって来たのは、地元の会津坂下町の「廣木酒造」で作っている銘酒「飛露喜」が手に入るのではないかと期待してのことなのです。何しろこのお酒、あまりの人気で地元はもちろんネット販売でもめったに手に入らない幻のお酒と言われているそうですが、この「植木屋商店」さんで取り扱っているという情報を見つけたのです。 しかしながら店内をざっと見渡しても問題のお酒の姿はなく、お店の方に「飛露喜」を探している旨をお話ししたのですが、やはり入荷が少ないために全部売れてしまっていて、欲しければ注文しておいて入荷したら取り置きしてもらうしかないようです。ですが、同じ廣木酒造さんで作っているお酒で地元でしか販売していない「泉川」なら1本残っていますよ、とのことでそれをいただいてきました。良かったぁ〜。 駐車場に戻り、次の目的地は「会津町方伝承館」です。
伝承館を出て、目の前の角を入ります。曲がり角に「西軍戦死者の墓」の表示がありました。100メーターほど歩いたところに公園があって「西軍墳墓」の石柱が立っています。ここですね、戊辰戦争のときに亡くなった薩摩、長州、土佐など西軍の兵士が葬られているのは。 戊辰戦争とは、1867年12月の「王政復古の大号令」により200年以上続いた徳川幕府は政権を天皇に返上して終焉を迎えるわけですが、その後の処遇を不満とした15代将軍徳川慶喜は15,000名の兵を集めて旧幕府軍を結成して1868年(明治元年)の鳥羽伏見の戦いに始まる反乱を起こして薩摩・長州藩を中心とする「新政府軍」と争います。鳥羽伏見の戦いは旧幕府軍の敗北に終わりましたが、その後上野、長岡、会津の各戦争を経て1869年(明治2年)の箱館戦争(五稜郭の戦い)まで1年以上続きました。
ちなみに西軍と戦った東軍=旧幕府軍、つまり会津戦争で戦死した1300名の藩士たちが埋葬されているのはここから1kmほど離れた七日町駅前の阿弥陀寺だそうです。会津戦争終了後、新政府軍は賊軍である会津藩士たちの遺体を埋葬することを許さず、ようやく野ざらしにされていたすべての遺体が収容されたのは翌年の春だったということです。「歴史は勝者が書く」といいますが、戦争の非情さを感じさせられます。次回来たときは東軍のお墓にお参りしようと思います。 ここで雨が降ってきましたので、車で七日町通りに向かいます。そして次にお邪魔したのは「白木屋漆器店」。
こちらでは記念に会津塗の箸3膳を買わせていただきました。ここ七日町通りには、白木屋漆器店をはじめとする大正時代の建物や蔵づくりのお店、歴史ある洋館が多く並んでいます。老舗の酒蔵や会津の名物であるお菓子、馬肉やお酒の販売店、カフェや料理店などもあってレトロな町並みを楽しめる人気観光スポットなのでゆっくり散策したいところですが、雨が本降りになってきたのであきらめて次に向かいます。 次は、こちらも江戸時代の嘉永3年つまり1850年に創業という「末廣酒造」さんです。なんとこちらのお酒、宮内庁御用達のみならず令和元年の大阪サミットの首脳夕食会で提供されたそうなので、その「山廃純米吟醸 末廣」があれば買って帰りたいところです。しかし、新型コロナのせいでしょうか3時に到着したときには、すでに営業時間が終了しておりました。中には酒蔵や資料室にクラシックカメラ博物館もあって見学を楽しみにしていたのですが、残念です。 代わりにどこかないかと地図を探して見つけたのが、「宮泉銘醸」さんでした。
こちらは昭和30年の創業という会津では新しい酒蔵ですが、「會津宮泉」「寫楽」「玄武」という3種類のお酒を造っています。敷地内には特に見学コースとか資料館はありませんが、直売所がありましたので覗かせていただきました。ここでは、「冩樂」を除く日本酒や焼酎を販売しているそうです。 ということで、こちらの代表的な銘柄である「會津宮泉」の純米酒をいただいて帰るとしましょう。うま味と酸味のバランスが良くて切れのある後味が特徴だそうです。楽しみですね。 さて、4時を回りました。 東山温泉は、1300年前に僧侶の行基が発見したと言われる歴史ある温泉郷です。人口12万人の会津若松市の中心である鶴ヶ城からわずか4kmのところなのに、これだけの規模と歴史を誇る温泉があるというのは素晴らしいですね。竹久夢二や与謝野晶子も愛した湯の街は、まさに会津若松市の奥座敷です。私の故郷でも「定山渓温泉は札幌の奥座敷」とよく言いますが、車で40分の25kmくらいは離れていますからね。 チェックインをして浴衣に着替えたら、館内を散策しながら温泉にはいりましょうか。ここには、かつて新選組の土方歳三が刀傷をいやしたと言われる「猿の湯」を始め、「わたりの湯」そして「千年の湯」の三つのお風呂があります。
はあ、いい湯でした。単純泉というのでしょうか、濁っていなくて硫黄の臭いもしませんがよく温まるお湯でした。 夕食は7時に2階の食事どころ「花まつり」で食べることとなっています。実は我々が宿泊した翌々日の3月19日には館内に新しい食事処「ダイニング會-KAI-」がオープンしたそうです。惜しかったなあ〜あと2日遅かったら新しいダイニングの最初の客になっていましたね。ではそろそろ出かけましょうかね。
用意された料理は会津の伝統的な料理ばかりで、一見量が少なく見えるのですが追加料理を頼むまでもなくお腹がいっぱいになりました。なお、テーブルにはQRコードがあって、スマートホンでそれを読み取るとウェブのアプリが起動して飲み物や追加料理のページが表示され、アプリから注文をするとすぐにテーブルに運ばれてくる仕組みです。給仕の人を探して「すみませーん」と大声を出さなくて済むのはいいですね。最後に「支払い」をタップするとその代金が部屋にチャージされるというシステムでした。
●第2日目:3月15日(水) 朝食は昨晩と同じ食事処です。今日は山都町でそばを食べる予定なので、朝食もキノコそばでスタートするとしましょう。
例によってたんぱく質ばかりのおかずですが、美味しくいただきました。 今日は薄日が差していますね。雨は降らないようです。
10時にチェックアウトして会津若松市内に向かいます。時間的には余裕があるので、とおり道でもあるし「御薬園」を見ていきましょう。この庭園、古くは室町時代に霊水が涌く泉があったので当時の会津藩主葦名盛久の別荘が建てられたそうです。その後の会津藩主の移り変わりで荒れ果てた時もありましたが、松平氏の藩祖である保科正之が庭園を整備し、保養所として使用したそうです。その後3代藩主正容の時代に、園内で朝鮮人参の栽培に成功したことが由来となって「薬」の一字を取って「御薬園(おやくえん)」と呼ばれるようになったそうです。戊辰戦争の時は、ここが新政府軍の療養所として使用されたため戦火に巻き込まれずにすんだので、今の美しい姿をのこしているとのことです。
では、おそばを食べに行きましょう。 道端に「山都寒ざらしそばまつり」の旗が見えてきました。もうすぐです。
うーん、これが寒ざらしそばですか・・・確かにしっかりとして、甘く美味しいそばでした。ここまでやって来た甲斐がありましたよ。 では、もう一軒、「そば伝承館」に行きましょう。ほう、こちらには「寒ざらしそば」のほかに「雪室そば」もあるのですね。 こちらの寒ざらしそばは1種類だけなので、比較のために普通の「ざるそば」もいただきました。
美味しいそばを堪能したあとは、敷地内にある資料館を見学します。 ここは「飯豊とそばの里センター」と言うことで、中は「そば資料館」「ふるさと館」「ふれあい館」から成り立っています。入り口で入場料200円を払って中に入ります。
ここではそば粉やそば打ちの道具も売っていますし、そば打ち体験も出来るようになっていました。資料館のビデオで宮古の湯ごねで打つそばの様子を見ることが出来て、「大上」のおばあちゃんを思い出しました。あれから18年も経ったのか・・・次回は宮古にも行かなくてはと思いました。 これで目的のそばは食べましたので、あとは帰るだけです。 お断り:今回の旅行記に使用した写真のなかで上の方が白っぽくなっている写真がいくつかあります。それは前回の2019年夏の旅行以来使用していなかったデジタル1眼レフカメラのレンズにカビが生えているのを知らずに撮影していたためです。そのため、基本的に旅行記の写真には1眼レフの画像だけを使うところを、代わりに携帯電話の画像を使用したりフォトショップと言う画像修正ソフトで補正して載せたりしました。お見苦しい点をお詫びいたします。なお、カビが生えたレンズは分解して掃除をしてあります。その模様はこちら。
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